Genesis - WE CAN’T DANCE

...イギリス・デッカ・レーベルから発売されたデビュー作、『From Genesis To Revolution』は、その発売された68年、わずかに649枚しか売れなかった。
2枚めの『トレスパス』もチャート・アクションまではいかなかったが、6000枚のセールスを上げ、72年の『フォックストロット』を発表後、73年初めにはイギリス国内をヘッドライナーとしてツアーが出来るほどになっていった。

 75年5月、フランスでのライブを最後に、ピーター・ガブリエルの脱退。2か月間の休暇の後、『ア・トリック・オブ・ザ・テイル』の制作開始・以後フィル・コリンズはドラマーとしてだけでなく、ジェネシスのリード・シンガーとなった。カリスマ的なガブリエルの脱退という大きな穴を埋めただけでなく、さらに大きな未来を築き上げていったのだ。スティーヴ・ハケットもチェスター・トンプソンも離れていき、3人が残った77年秋のレコーディング(発表は、78年春)、『そして3人が残った』は、「フォロー・ユー・フォロー・ミー」のヒットと共にイギリスで3位、アメリカで14位まで上昇、アメリカでは初のゴールド・ディスクを獲得するまでになった。そして黄金の80年代は、初の全英ナンバー・ワン・アルバムとなったアルバム、名作「ターン・イット・オン・アゲイン」が収められた『デューク』で幕を挙げる。

 『インヴィジブル・タッチ』の大成功の後、ジェネシスがどこに行くのか? フィル・コリンズのソロ、マイク&ザ・メカニックス、バンクステートメントなどのソロ・ワークは、どんな影響を及ぼすのか?...

...プロデュースは、ヒュー・パジャムと離れ、トニーバンクスのソロ、マイク&ザ・メカニックス、マリリオンなどのプロデュース、ミキシング・エンジニアであるニック・デイヴィスとの共同プロデュースになり、レコーディングは91年の春から一気に仕上げられたという。そして92年春からは、待望のワールド・ツアーがスタートする予定だ。

(1991.10/大森庸雄-Tsuneo O'mori/Aquarius)

BGMは、Scritti Politti - Provision (1988)