モダニズムのハードコア

簡単に言えば、前衛文化が文化産業に吸収されることによって、キュレーターやコレクター、ディーラーやアーティストの間に、新しい意識が生まれたということです。つまり、運営や管理、批准や認定などの作業は、既成の機関やその支援者たちのネットワーク、とくに美術館や美術市場の内側でも、充分に遂行されうる、という認識です。独立の批評など、大学内のゲットーに蟄居してしまえばいい、かつては独立していたこの勢力がいなくなっても、美意識の操作には何の支障もきたさない、といった認識は、今日一般に誰もが受け入れ、容認している事実なんです。ちょうど一九三〇年代後半、グリーンバーグが大衆文化の勃興を論難しても、それを脅かすことなどできなかったように、ゲットーに蟄居する現在の評論家たちには、「上級」文化の産物に関して既に確認ずみの制度的・経済的合意を、たとえばレーガン時代を象徴するアーティストがデイヴィッド・サーレやエリック・フィッシュルであるといった合意を、脅かすことなどできるはずがないんです。美術の評価基準は現在、批評とは無関係の場で、つまり批評の外側で成立しています。そのため、たとえばサーレやフィッシュルらをマネに関連づけて語るキュレーターの思い込みや、ジャーナリストの戦略を前に、批評はどのような異議申し立てを展開しようとも、それを動揺だにさせられないというわけです

[ベンジャミン・ブクロー(1987年)『モダニズムのハード・コア―現代美術批評の地平 批評空間・第2期臨時増刊号』(太田出版,1995)より]

ジャズアルバムを聴いた時のメモ

3/4

アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ『Mosaic』1961、Blue Note

ドラムが気合い入ってる感じがした

チャールズ・ミンガス『Mingus Ah Um』1959、COLUMBIA

Open Letter To Duke という曲が面白かったような。

3/5

John Coltrane & Johnny Hartman 1963, インパルス

子守唄みたい。フランクシナトラcoverがあるらしい

 マイルス・デイヴィス Birth of the Cool 1957,  Capitol Jazz 

全体的に優しい。、そよ風のような。Israelという曲(1949、クールジャズらしい)はビルエヴァンスによるバージョンが好きでよく聴いていた。

 

チック・コリア名義,  - Return to Forever(1972年2月録音)(ECM) 1972年

エレピで、たまに女の人のボーカルが入る。3. "What Game Shall We Play Today"はベースが東京のインディーバンドのベースみたいで好きだった。女のボーカルがきれいで、テニスコーツってこんな感じだったっけ?と思った。山本精一周辺のバンドでgood musicをやってみました。。という曲は、こんな感じだった気がする。4. "Sometime Ago - La Fiesta"は23分くらいあるみたいだけど、16分過ぎくらいからジャズっぽくなる。King Crimsonのような。そこが好き。このアルバム全体についていうと、ジャズというよりも、フュージョンか。エレピといえば、Lyle Maysを久しぶりに聞きたいなと思った。

 

ファラオ・サンダース(Pharoah Sanders『カーマ』 - Karma(1969年2月録音)(Impulse!)1969年

1曲目が20分以上?2曲目は5分くらい

 

3/6

サン・ラ Space Is the Place 1973 Blue Thumb Records

5曲入りの最後の曲が2:50くらいの長さで、rocket number nineっつう。早口のおっさんの声の早送りが流れてて面白かった。昔よく聴いていたCosmosよりもフリージャズっぽさが強い

Sun Ra、Cosmos 1976. Cobra COB 37001

久しぶりに聞いてみた。最初の曲「The Mystery of Two」は他の人のアルバムにも入ってそうな曲で、ハードバップっぽい。

リー・コニッツ「Subconscious-Lee」1955

あまりひっかかるものはなかった。titleは『Ezz-thetics』みたいでかっこいいかもしれない。高柳昌行: Second Concept (1979)というのがあるらしい。

オーネット・コールマン The Shape of Jazz to Come 1959年11月、Atlantic Records

これはかっこいい、1950年代というので驚いた。1曲目とか独特な音階だと思う。「song x」にも通ずるオーネットコールマンらしさを感じる

Duke Ellington with Mahalia Jackson - Black, Brown and Beige (1958) Colombia

キャバレーのようにきらびやかな感じ

Ornette Coleman & Pat Metheny『Song X』(1986

1曲目、新しい感じがする

 

3/7

Sun Ra、Cosmos 1976. Cobra [COB 37001]

マイルス・デイヴィス・ウィズ・ソニー・ロリンズ 「The Classic Prestige Sessions, 1951-1956」2009、コンコード・ミュージック・グループ(Concord Music Group)

引っかかるところがない感じかな、と思ったけど、Denialという曲(1951)は狂おしく好きだった。ビバップらしい

アンドリューヒルjudgment

あまり引っかかるものがなかった。洒脱な感じ。木琴とピアノの音が交互に出てきたり、木琴がメインで後ろでピアノが聞こえたり。

ジャッキー・バイアード To Them – To Us (1981年、Soul Note)

 

3/8

 

 Miles Davis『スケッチ・オブ・スペイン』 - Sketches of Spain (1959年)CBS

ギルエヴァンスworksらしいので、聞いてみた。雰囲気はいい感じだが... Saetaは正露丸っぽい

マイルス・デイヴィス「In a Silent Way」

雰囲気はいい感じ。フリージャズっぽい感じがする。

Laure Briard「Eu Voo」EP

フレンチポップ、素晴らしい。

3/9 月

RyojiIkeda「dataplex」

ダイアナ・ロス「Surrender」

ダイアナ・ロス「Diana」

Autechre「Peel Session」

読んだ時のメモ

ドナルドキーン『石川啄木』2016.2、令和4年文庫。


9- 1️⃣自信と反抗
20 明治19, 1886年に石川啄木が生まれた。日戸村。常光寺。

 

20 伝記作家たちが啄木誕生の地を渋民村としていることの間違いを最初に指摘したのは金田一京助1882-1971で、

 

25 妹の光子1888-1968 によれば啄木は自然児だった。←『啄木全集』8巻。三浦光子「幼き日の兄啄木」、金田一京助「晩年の石川啄木」。


31 一禎は旧派の多作な歌人で、四千首近い短歌を残した。→三浦光子『兄啄木の思い出』


34 のちに啄木の人生で重要な役割を演ずることになる宮崎郁雨(1885-1962)は、啄木と母との関係に何かしら「病的なもの」があることに気づいたが、それ以上のことは述べていない。


41 明治32年(1899)、当時13歳だった啄木は同い年の少女堀合節子に出会った。写真で見る限り、節子は明らかに美人ではない。


47-2️⃣上京、失意、結婚
48- 啄木が上野駅に着いたのは、明治35年(1902)11月1日の朝だった。
52 最初の一週間、啄木はたいして勉強しなかった。美術画廊を巡っては例によってお世辞抜きの印象を日記に記したり、愛する「白百合」に何時間も想いを馳せたりしている。しかし、たいていは孤独で退屈だった。啄木はものすごい勢いで短歌を作り鉄幹に送ったが、反応はなかった。


52 鉄幹は11/9、啄木を牛込の城北倶楽部で開かれた詩人の会に。岩野泡鳴1873-1920. の詩を読んで、啄木は自分の短歌を不規則な長さに区切る手法を思いついたのかもしれない。


66 啄木は『タンホイザー』の「巡礼の合唱」のような、自分が知っている数少ないワグナーの作品に深く感動していた。
67 晩年の啄木が突然政治に関心を示したのは、不成功に終わった1849年のドレスデン革命に参加したワグナーを見習いたかったからだという説がある。しかし、これはありそうもないことである。


70 明治38年(1905)5月12日、啄木の父一禎は婚姻届を出して節子を石川家の戸籍に入れた
73 盛岡に到着したのは6月4日で、啄木は数週間ぶりに節子に会った。一軒の家が新婚夫婦のために借りられていた。その家には新婚夫婦と啄木の両親、妹、そして家主の家族が一緒に住んだ。
74 明治38年の啄木の主な文学活動は、処女詩集『あこがれ』の出版である。
 75 その後の『あこがれ』の評価に止めを刺したのは、詩人で英文学者の日夏耿之介1890-1971だった。「早熟少年の模倣詩集にすぎない」


77- 3️⃣渋民村で代用教員となる
84 明治38年1905. の啄木の主な文学活動は文学雑誌「小天地」の創刊で、


91 「明星」12月号に短篇『葬列』が掲載。金田一京助から葉書
93 明治39年12月29日、啄木と節子の最初の子供である女児京子が生れた。


95- 4️⃣一家離散、北海道へ
109 小説『葬列』を発表、金田一京助のような友人は高く評価、鉄幹は、信頼のおける批評家の間で非難が多いと告げ。


115 心に不安を抱えていたにもかかわらず、この時の旅の記述には啄木の散文の最も美しい一節の幾つかが含まれている。
116 啄木は、おそらく生れて初めて妹に兄らしい優しさを見せた。


135
関東大震災後の東京は、多少とも谷崎が望んだ方向で復興したが、すでに谷崎の嗜好の方が変化していた。谷崎が新たに住む場所として選んだのは、近代都市の煌めく灯火の中ではなくて、地震によって古い文化が少しも損なわれなかった地域ーー関西だった。ほどなく谷崎は、かつては破壊されることを望んで
いたその伝統的な建築様式を礼賛するようになる。最後まで反逆者だった啄木は、函館の市街の破壊を惜しむことはなかった。


146 綱島りょうせん。梁川、キリスト教学者1873-1907. 
155-156 宮崎郁雨と石川啄木との友情。
190 明治41年は事実、最も多作で最も素晴らしい詩歌を書いた年だった。1908


198 翌4月3日は神武天皇祭だった。空は晴れて雲もなかったが、海は荒れていた。港内では白い波が盛んに起伏していた。啄木は艀に乗り、二、三度波をかぶった後、なんとか酒田川丸に乗り込んだ。


204 宮崎は啄木の妻節子が好きだったし、ついには節子の身代わりででもあるかのように節子の妹と結婚している。
210 同日午後、啄木は森鷗外宅の歌会に出席した。
 213 当初、啄木は会話を書くのがうまく行かず、特に女性の言葉遣いが苦手だった。
216 ツルゲーネフの野郎と叫んだ。そして、『その前夜』に匹敵する作品を必ず今年中に書くと宣言する。


219 身一つ、心一つ、それすらも遣場のない今の自分!
222 六月二十三日の夜、啄木は枕についてから歌を作り始めた。興が刻一刻と盛んになって、ついに徹夜した。翌日数えてみたら百二十首余もあった。


226 啄木はただちに写真を送るよう頼んでいる。→53.『石川啄木全集』第7巻、261
229 「明星」が失敗したのは、「明星」の特徴だったロマンティシズムに対抗して、詩歌におけるリアリズムがますます人気を得て来たからだった。


233- 9️⃣
235 平出修1878-1914. 歌人で弁護士の平出は、やがて啄木の人生で重要な役割を演じることになる。
236 啄木は、「明星」をも上回る新雑誌を作るのだという見込みに、もはや心をときめかさなくなったかのようだ。自分の意見が聞き入れられなかったために啄木は腹を立てていた。
236 平野万里との議論、吉井
 239 伯爵家の次男である吉井勇


244 しかし啄木が生前、金田一京助の一番大事な仕事であるアイヌ語の研究について、「一体アイヌ語をやって何になるんです」と詰問した時、金田一はやはり同じように辛い思いをしたに違いない。金田一は、まるで蹴られたような気がしたという。
245 しかしながら啄木が年頭に、詩歌および散文の作家として最も輝かしい時期に入ると予言したのは正しかった。【明治42年4月から6月にかけて、啄木は日本文学に前例のない作品『ローマ字日記』を書いた。翌43年12月には、処女歌集にして最高傑作である『一握の砂』が刊行された。】


247 啄木がいかにたくさんの洋書を読んでいたか、我々は知っている。ーーーふつうは買った書籍を二、三日で売っていて、これはかなりの失費というか無駄である。
249 北原白秋と浅草で祝いの乾杯、坪仁子とは、釧路で啄木が愛して捨てた芸者「小奴」の本名だった。


250 ワイルド、小奴の電報為替に対する気持を記していないのは不可解である。また上京して啄木と暮らすという母カツの決意に、なぜそんなに悩むのか日記で沈黙しているのは、
253 森鷗外の『半日』
(239 明治42年、1/9に森鴎外宅で催された歌会で、啄木の歌は最高点を得た。)
257 明治42年、6/16 啄木は前年9/6以来住んでいた下宿を出て、金田一が見つけてくれた本郷弓町の床屋の二階の二間に引っ越した。
 257 二人の胸には、「異様な別れの感じ」
258 6/16の朝、啄木と金田一は上野駅のプラットホームで啄木の家族を出迎えた。
→308 明治42年、10/2 には危機が出来している。京子を連れて天神様へ行くと啄木の母に伝えて家を出た節子が、そのまま盛岡の実家に直行


258 啄木の生活の大きな変化は明治43年1910. 4月、朝日新聞が発行する全4巻の『二葉亭全集』の編纂者、西村酔夢が朝日を辞職したことから始まった。
→この驚くべき昇進が実現したのは、啄木の非凡な能力を認める他の朝日の社員たち(たとえば、夏目漱石ら)


261- 🔟傑作、ローマ字日記
264 北原白秋が詩集の題として蘇らせた「邪宗門」という言葉は、おそらく16世紀か17世紀の日本人が、


285 (すでに人のいない所へ行くこともできずらさればといって、何一つ満足を得ることもできぬ。
288 啄木は、飽くことなく自己を分析する。自分に「弱者」というレッテルを貼るが、同時に一番親しい人から順々に知っている限りの人間を残らず殺したいと思う。


290 啄木の主な文学的楽しみは、今や貸本屋の親爺が持ってくる昔の好色本を読むことだった。


290 その夜、啄木は金田一京助の部屋へ行き、胸に人の顔を書いたり、いろいろ変な顔をしてみせたりした後で、ナイフを取り上げて芝居の人殺しのまねをした。


296 金田一は結婚したら吉原など行かなくてもいいと言い、しかし啄木は結婚しても吉原には足しげく通うべきであると言う。
296 何の喜びも与えてくれなかった娼婦


296 並木武雄から借りた時計をまだ質屋から
←251 しかし昔ながらの啄木も相変わらず健在だった。友人の並木武雄から時計を借り、質に入れて八円を作り、


297,298 花子。
303 床屋の二階に移るの記
312 節子は義母にどんなことを言われても大理石像のように動かず、一語も発しなかった。
314 早く自分のことをお書きなさい、もったいなくてまだ書けない、書けない 啄木は型にはまった小説に、無駄に時間を使い過ぎていた。


315 翌明治43年、啄木と金田一はめったに会うことがなかった。


323- 【12】
324 しかし次第に人間が作ったもので称賛すべきもの、価値あるものは何一つないと疑うようになった。
339 明治43年、4/12 啄木はついに奮起して


351- 【13】
352 明治42年11月から東京毎日新聞に連載を始めたエッセイだった。『弓町より』→『食ふべき詩』
359 明治41年、1/19. 啄木は母と妻、子供を小樽に残して釧路へ向かった。


368 正直なる日記でなければならぬ。従って断片的でなければならぬ。ーーまとまりがあつてはならぬ。
 369 『一利己主義者と友人との対話』と題され、「創作」11月号に掲載された。
←尾上柴舟1876-1957 の『短歌滅亡私論』を読んだ後で


382 瀬川深。
384 啄木は相変わらずクロポトキンを読み続けていたものの、身辺に起きた数々の大きな出来事が秋水の事件から啄木の注意を逸らしていたのである。
 390 トルストイ。1904


1904 日本がロシアと開戦 日露戦争
→日露戦争を強く非難するトルストイの『汝、悔い改めよ』が英訳されて「ロンドンタイムズ」6/27に。(明治37年)
 東京に打電された英訳を幸徳秋水と堺利彦が日本語訳し、37.8月初めに社会主義の週刊新聞「平民新聞」と「東京朝日新聞」に全文掲載。
→7年後、1911年に石川啄木が回想。


391 永井荷風1879-1959.


393 トルストイ論を書いた数ヶ月後の明治44年夏。啄木は杖に頼りながら、弓町の自宅から、森川町の金田一の家を

 

402 九月三日、父の一禎が三度目の失踪をした。
403 啄木の人生でおそらく最大の衝撃的な事件が、明治44年9/10頃に起きた。


407 光子の誇張ないしはでっち上げ
409 啄木はクロポトキンを読み続けたが、本は啄木に慰めを与えなかった。啄木にとって「革命」は、すでに政治の話であるよりは自分自身に関わることだった。
427 啄木はクロポトキンの作品を読んだが、こうした本が病院での退屈な時間を忘れさせることができたかどうか、


432 岡田健蔵は。聖ヒエロニムスのように、図書館員の守護聖人として尊敬されるべき。最大の宝物。(私立函館図書館)

 

ーー435註
463 啄木は明治41年(1908)に1576首の短歌を詠んでいて、他の年より遥かに多い。池田功『石川啄木入門』36ページは、これを「歌が爆発した」と書いている。←191


467 啄木が『鳥影』を書く直前、源氏を読みながら寝た。明治41年9月17日(1908)←217
471 啄木は与謝野夫妻を二人で一人と見なしていたようである。


497 光子は必ずしも常に信用できるわけではないが、

美術史を読む 6人の美術史家による6つの方法

美術史を読む 6人の美術史家による6つの方法:

1996年の連載(全6回、1月号〜6月号)で扱われた美術史家は以下の通りです:
  1. ノーマン・ブライソン(Norman Bryson) — 「絵画という記号」(1996年1月号)
  2. ロザリンド・クラウス(Rosalind Krauss) — 「モダニズムを超えて」(1996年2月号)
  3. T・J・クラーク(T.J. Clark) — 「絵画とイデオロギー」(1996年3月号)
  4. マイケル・フリード(Michael Fried) — 「批評と歴史」(1996年4月号)
  5. イヴ=アラン・ボア(Yve-Alain Bois) — 「モデルとしての絵画」(1996年5月号)
  6. グリゼルダ・ポロック(Griselda Pollock) — 「フェミニズムと美術史」(1996年6月号)


第一回 ノーマン・ブライソン--絵画という記号
https://bijutsutecho.com/backnumber/578
第二回 ロザリンド・クラウス--モダニズムを超えて
https://bijutsutecho.com/backnumber/580
第三回 T・J・クラーク--絵画とイデオロギー
https://bijutsutecho.com/backnumber/581
第四回 マイケル・フリード--批評と歴史
https://bijutsutecho.com/backnumber/582
第五回 イヴ=アラン・ボア--モデルとしての絵画
https://bijutsutecho.com/backnumber/583
最終回 グリゼルダ・ポロック--フェミニズムと美術史
https://bijutsutecho.com/backnumber/585

 

1996年の『美術手帖』連載「美術史を読む 6人の美術史家による6つの方法」は、1980年代の「新美術史」(New Art History)運動の影響を受けた6人を紹介していますが、アメリカの批評・美術史界(特にOctober誌グループやアメリカの大学美術史学科)の人物に偏っている点は事実です。選ばれた6人(Norman Bryson, Rosalind Krauss, T.J. Clark, Michael Fried, Yve-Alain Bois, Griselda Pollock)は、イギリス生まれの人物も含むものの、1980年代以降の活動の中心がアメリカ(NYの批評シーンやHarvard, Berkeleyなどの大学)で、アメリカのポストモダン批評(記号論・制度批判・フェミニズムなど)を強く反映しています。
一方で、「新美術史」運動は主にイギリスで起こった(BLOCK誌や1986年の『The New Art History』本が象徴)にもかかわらず、この連載がアメリカ寄りなのは、当時の日本の美術批評界がアメリカのOctober系理論に強く影響を受けていたためと考えられます(翻訳ブームやポストモダン・アートの流行)。
あえてイギリス側で固めた場合を妄想すると、イギリスの社会史的・マルクス主義的・フェミニズム寄りの新美術史家を中心に人選が変わります。元のテーマ(記号、モダニズム超え、イデオロギー、批評と歴史、モデルとしての絵画、フェミニズム)をできるだけ反映しつつ、イギリス生まれ・イギリス中心の活動家を優先。BLOCK誌の貢献者やイギリスの大学美術史家(Warwick, Leedsなど)から選んでみました。テーマも似せて調整。妄想的人選:イギリス側で固めた全6回
  1. Norman Bryson(ノーマン・ブライソン) -- 絵画という記号
    元の連載の1回目と同じ人物ですが、イギリス生まれ・イギリスの新美術史の初期メンバーとして再選。イギリスで育ち、Cambridge大学で学んだ後、アメリカ移住前に視覚理論を確立。**『Vision and Painting: The Logic of the Gaze』(1983年)**で、絵画を「記号」として分析し、イギリスの視覚文化研究の基盤を築いた。
  2. John Barrell(ジョン・バレル) -- 風景を超えて(モダニズムを超えての代替)
    イギリス生まれ・Warwick大学教授。**『The Dark Side of the Landscape』(1980年)**で、風景画をイデオロギー・階級の産物として解体。イギリスの新美術史で「風景と権力」をテーマに、モダニズムの「純粋美学」を批判的に超えた代表。
  3. T.J. Clark(T.J.・クラーク) -- 絵画とイデオロギー
    元の連載の3回目と同じ。イギリス生まれ・イギリスの新美術史の中心人物。**『The Painting of Modern Life』(1984年)**で、Manetや印象派を階級闘争の文脈で読み直し、イギリスのマルクス主義美術史を象徴。
  4. Michael Baxandall(マイケル・バクサンドール) -- 視覚文化と歴史(批評と歴史の代替)
    イギリス生まれ・Warwick大学教授。**『Painting and Experience in Fifteenth-Century Italy』(1972年、1980年代に影響大)**で、ルネサンス絵画を社会・視覚の歴史として分析。イギリスの新美術史で「視覚文化(visual culture)」の先駆け。
  5. John Tagg(ジョン・タグ) -- モデルとしての写真(モデルとしての絵画の代替)
    イギリス生まれ・Binghamton大学(アメリカ)教授だが、イギリスの新美術史の写真理論の代表。**『The Burden of Representation』(1988年)**で、写真を「モデル」として権力・制度の産物と分析。イギリスの視覚理論を写真に拡張。
  6. Lisa Tickner(リサ・ティクナー) -- フェミニズムと美術史
    イギリス生まれ・Courtauld Institute of Art教授。**『The Spectacle of Women』(1988年)**で、フェミニズム美術史を確立し、女性の表象を社会史的に読み直す。Griselda Pollockの同僚として、イギリスのフェミニズム新美術史の基盤を築いた。
この妄想人選の意義と意図
  • イギリス側で固めた意図:元の連載がアメリカ寄り(October誌の理論的・視覚的アプローチ)だったのに対し、この妄想版はイギリスの社会史的・マルクス主義的・視覚文化寄りを強調。イギリスの新美術史は階級・イデオロギー・ジェンダーの分析が強く、BLOCK誌(1979–1989年)の貢献者を中心に選んだため、より「社会史的」な色合いが強くなります。


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はい、イギリスに限定するより「ヨーロッパ側」で固めるのが、より自然でバランスの取れた妄想連載になると思います。理由と具体的な人選を以下にまとめます。なぜ「イギリスだけ」より「ヨーロッパ全体」で固めるべきか?
  1. 新美術史運動の実際の広がり
    1980年代の「新美術史」はイギリスで「名称」として自覚的に起こりましたが、理論的基盤は**フランス(構造主義・ポスト構造主義)ドイツ(マルクス主義・批判理論)**の影響が非常に強く、イギリスはそれらを「美術史」に適用した受け手という側面が大きいです。
    → イギリスだけに絞ると、フランス・ドイツの理論的源流が抜け落ちてしまう。
  2. 1996年の日本の文脈で考えると
    当時の日本美術界はアメリカのOctober系に偏っていたため、**対抗軸として「ヨーロッパの理論的・社会史的伝統」**をまとめて提示する方が、連載としてのインパクトが強くなる。
    → 「アメリカ偏重」に対するカウンターとして、大陸ヨーロッパ(フランス・ドイツ・イタリアなど)の視点を入れると、読者に「もう一つの新美術史」を見せる効果が期待できる。
  3. テーマの多様性とバランス
    元の連載の6テーマ(記号、モダニズム超え、イデオロギー、批評と歴史、モデルとしての絵画、フェミニズム)を維持しつつ、ヨーロッパの多様な伝統(社会史、構造主義、フェミニズム、制度批判、美学理論)を反映させる方が、連載としての「方法論の多様性」が豊かになる。
妄想:ヨーロッパ側で固めた全6回(テーマをできるだけ近づけて)
  1. Roland Barthes(ロラン・バルト) -- 絵画という記号
    • フランスの構造主義・記号論の巨匠。**『Mythologies』(1957年)『Image-Music-Text』(1977年)**で、画像・視覚を記号として分析。Norman Brysonの視覚理論の直接的源流。
    • イギリス新美術史の「記号論的転換」の基盤をフランスから提示。
  2. Jean Baudrillard(ジャン・ボードリヤール) -- モダニズムを超えて
    • フランスのポストモダン思想家。**『Simulacra and Simulation』(1981年)**で、モダニズムの「実在」を解体し、シミュラークルの世界を論じる。Kraussのモダニズム批判に近いが、より哲学的・大陸的。
    • モダニズムの「終わり」をフランスから読み直す。
  3. T.J. Clark(T.J.・クラーク) -- 絵画とイデオロギー
    • イギリス生まれ・イギリスのマルクス主義美術史の代表。元の連載と同じく残す。**『The Painting of Modern Life』(1984年)**で、イデオロギー分析のイギリス版を象徴。
  4. Peter Bürger(ペーター・ビュルガー) -- 批評と歴史
    • ドイツの前衛理論家。**『Theory of the Avant-Garde』(1974年)**で、歴史的前衛の「失敗」と制度性を論じる。Michael Friedの形式主義批評に対するヨーロッパ側の「制度・歴史」視点。
    • 批評と歴史の関係をドイツから再考。
  5. Hans Belting(ハンス・ベルティング) -- モデルとしての絵画
    • ドイツの美術史家。**『The End of the History of Art?』(1983年、英語版1987年)**で、美術史の「終わり」を論じ、絵画を文化・歴史の「モデル」として再定義。Yve-Alain Boisの形式主義とは対照的な、ヨーロッパの美術史哲学的アプローチ。
  6. Griselda Pollock(グリゼルダ・ポロック) -- フェミニズムと美術史
    • イギリス生まれ・イギリスのフェミニスト美術史の中心。元の連載と同じく残す。**『Vision and Difference』(1988年)**で、フェミニズム美術史のイギリス版を象徴。
この妄想連載の特徴と意図
  • 構成:フランス(Barthes, Baudrillard)×2、ドイツ(Bürger, Belting)×2、イギリス(Clark, Pollock)×2
    → ヨーロッパ大陸とイギリスのバランスが取れ、**「新美術史」の源流(フランス・ドイツ)と実践(イギリス)**を網羅。
  • テーマの対応:元の6テーマをほぼ維持しつつ、ヨーロッパの理論的・哲学的伝統を強調。
  • 日本の読者への効果:1996年当時、アメリカのOctober系が「最先端」として輸入されていた中、**「ヨーロッパの源流から見直す新美術史」**という視点を提供でき、アメリカ偏重へのカウンターとして意味深い連載になったはず。
結論
  • イギリスだけに固めると、社会史的・マルクス主義的側面が強くなるが、理論的源流が薄くなる。
  • ヨーロッパ全体(フランス・ドイツ・イギリス)で固める方が、新美術史運動の本質(フランスの構造主義・ドイツの批判理論・イギリスの社会史的適用)をバランスよく伝えられる。

 

ヨーロッパ現代美術批評のスペクトラム:新聞・体験批評から理論的・哲学的美学へ

  • 大衆寄り
    • Waldemar Januszczak(ワルデマール・ヤヌシュチャク、1954年生まれ、72歳)
      短評:テレビ批評家としても有名。ユーモア交じりでアクセスしやすく、芸術を楽しむ視点の大衆批評。
      主要著作:『Sayonara, Michelangelo: Sistine Restoration Mysteries』(1990年)、多数のSunday Timesレビュー
    • Jonathan Jones(ジョナサン・ジョーンズ、1970年生まれ、56歳)
      短評:The Guardianの論争好き批評家。ストレートで挑発的な意見をぶつけ、大衆に議論を呼び込む。
      主要著作:書籍単独著は少ないが、Guardianの多数レビューが批評の核心
    • Adrian Searle(エイドリアン・サール、1954年生まれ、72歳)
      短評:Guardian首席批評家。感覚的・体験重視で理論を抑えめ、一般読者に親しみやすい。
      主要著作:多数のGuardianレビュー(書籍化は少ない)
    • John Berger(ジョン・バージャー、1926–2017)
      短評:マルクス主義的視点から芸術の権力構造を暴きつつ、詩的で読みやすい文体で大衆に届けた批評の民主化の象徴。
      主要著作:『Ways of Seeing』(1972年)、『About Looking』(1980年)、『And Our Faces, My Heart, Brief as Photos』(1984年)
    • Brian Sewell(ブライアン・スーウェル、1931–2015)
      短評:保守的で毒舌、現代アートを容赦なく切り捨てる辛口批評家。伝統美術擁護の姿勢で大衆人気。
      主要著作:『Nothing Wasted: The Paintings of Richard Harrison』(1984年)、『Outsider II: Always Almost』(2012年)
  • 中間
    • Boris Groys(ボリス・グロイス、1947年生まれ、79歳)
      短評:哲学的深みがありつつ読みやすい。現代美術のグローバル化・メディア論で影響大。
      主要著作:『Art Power』(2008年)、『In the Flow』(2016年)
    • T.J. Clark(T.J.・クラーク、1943年生まれ、83歳)
      短評:社会史的美術史家。マルクス主義的だが文学的・体験的な書き方で中間寄り。
      主要著作:『The Painting of Modern Life』(1984年)、『Farewell to an Idea』(1999年)
    • Griselda Pollock(グリゼルダ・ポロック、1950年生まれ、76歳)
      短評:フェミニスト美術史の重要人物。ジェンダー・ポストコロニアルを一般向けに語る。
      主要著作:『Vision and Difference』(1988年)、『Encounters in the Virtual Feminist Museum』(2007年)
    • Jean Baudrillard(ジャン・ボードリヤール、1929–2007)
      短評:ポストモダン理論の巨匠。シミュラークル論が芸術界に波及し、エッセイ風で一般にも読まれる。
      主要著作:『Simulacra and Simulation』(1981年)、『The Transparency of Evil』(1990年)
  • アカデミック寄り
    • Benjamin H.D. Buchloh(ベンジャミン・H.D.・ブフロウ、1941年生まれ、85歳)
      短評:マルクス主義・制度批評の極致。難解でアカデミックな理論批評の代表。
      主要著作:『Neo-Avantgarde and Culture Industry』(2000年)、『Formalism and Historicity』(2015年)
    • Yve-Alain Bois(イヴ=アラン・ボワ、1952年生まれ、74歳)
      短評:形式主義寄りのOctober系。理論的難解さはKraussに近い。
      主要著作:『Painting as Model』(1990年)、『Matisse and Picasso』(1998年)
    • Jacques Rancière(ジャック・ランシエール、1940年生まれ、86歳)
      短評:美学・政治の哲学者。「分配された感覚」を論じ、現代批評に大きな影響。
      主要著作:『The Politics of Images』(2009年)、『Aesthetics and Its Discontents』(2004年)
    • Peter Bürger(ペーター・ビュルガー、1936年生まれ、90歳)
      短評:前衛芸術理論の古典『Theory of the Avant-Garde』の著者。制度批評の基盤。
      主要著作:『Theory of the Avant-Garde』(1974年、英語版1984年)

       


アメリカ現代美術批評のスペクトラム:大衆的体験批評から理論的制度批評へ

 

### 特に「ぶっ飛んでて面白い」順ランキング(主観)

1. Dave Hickey
→ 「美術はエロとカジノとロックンロールだ」と言い放つ。学術界から嫌われつつカルト的人気。

2. Jerry Saltz(現在進行形で一番面白いかも)
→ Twitter(現X)で「この彫刻、チンコすぎる」「これは死んでる」など連投。批評がミーム化してる。

3. Harold Rosenberg
→ 「絵を描く=格闘技」と言い切った瞬間、美術史がちょっとおかしくなった。

4. Arthur Danto
→ 「もう芸術は終わったよ。後は哲学だけ」と予言者みたいに宣言。多くの人がムカついたけど、的を射ていた部分もある。

 

  • 大衆寄り
    • Jerry Saltz(ジェリー・ソルツ、1951年生まれ、75歳)
      短評:直感的・感情的・ユーモアたっぷりのSNS時代の大衆批評家。展覧会レビューを日常語で書き、批評の民主化を体現。Pulitzer賞受賞者。
      主要著作:『Seeing Out Loud: Village Voice Art Columns, 1998-2003』(2003年)、『How to Be an Artist』(2020年)
    • Roberta Smith(ロバータ・スミス、1948年生まれ、78歳)
      短評:The New York Timesの首席批評家。落ち着いた文体で展覧会を詳細にレビューし、大衆に信頼される新聞批評の王道。
      主要著作:書籍単独著は少ないが、多数の展覧会レビュー(NYTアーカイブ)が批評の核心。
    • Dave Hickey(デイヴ・ヒッキー、1938–2021)
      短評:快楽主義的・挑発的なエッセイスト。市場や美の価値を肯定し、アカデミックな理論を嫌う反骨精神の批評家。
      主要著作:『The Invisible Dragon: Four Essays on Beauty』(1993年)、『Air Guitar: Essays on Art & Democracy』(1997年)
    • www.threads.com

    • Peter Schjeldahl(ピーター・シェルデール、1942–2022)
      短評:詩人出身のThe New Yorker批評家。美しい文体で感覚的・個人的体験を重視し、理論を抑えめにした大衆寄り批評。
      主要著作:『Let’s See: Writings on Art from The New Yorker』(2008年)、『Hot, Cold, Heavy, Light』(2019年)
  • 中間
    • Arthur C. Danto(アーサー・C・ダント、1924–2013)
      短評:哲学者として「芸術の終焉」論を提唱しつつ、一般読者にわかりやすく批評。理論と体験の橋渡し役。
      主要著作:『The Transfiguration of the Commonplace』(1981年)、『After the End of Art』(1997年)、『The Philosophical Disenfranchisement of Art』(1986年)
    • Michael Fried(マイケル・フリード、1939年生まれ、87歳)
      短評:初期は形式主義の理論家、後期は個人的・体験的な批評へシフト。哲学的深みとアクセスしやすさのバランス。
      主要著作:『Art and Objecthood』(1967年論文、1998年書籍化)、『Absorption and Theatricality』(1980年)、『Why Photography Matters as Art as Never Before』(2008年)
    • Claire Bishop(クレア・ビショップ、1971年生まれ、55歳)
      短評:参加型アート・社会的実践の批評で有名。理論的だが実践寄りで読みやすい中間派。
      主要著作:『Artificial Hells: Participatory Art and the Politics of Spectatorship』(2012年)、『Radical Museology』(2013年)
    • Peter Plagens(ピーター・プラゲンス、1941年生まれ、85歳)
      短評:ジャーナリスティックで読みやすく、理論を適度に取り入れる中庸派批評家。
      主要著作:『Bruce Nauman: The True Artist』(2014年)、多数のNewsweekレビュー
  • アカデミック寄り
    • Hal Foster(ハル・フォスター、1955年生まれ、71歳) / Rosalind Krauss(ロザリンド・クラウス、1941年生まれ、85歳)
      短評:October誌の中心。ポスト構造主義・制度批判・反美学的アプローチの理論的権威。
      主要著作(Foster):『The Return of the Real』(1996年)、『Design and Crime』(2002年)
      主要著作(Krauss):『The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths』(1985年)、『The Optical Unconscious』(1993年)
    • Benjamin Buchloh(ベンジャミン・H.D.・ブフロウ、1941年生まれ、85歳)
      短評:マルクス主義・制度批評の極致。難解でアカデミックな理論批評の代表。
      主要著作:『Neo-Avantgarde and Culture Industry』(2000年)、『Formalism and Historicity』(2015年)
    • Yve-Alain Bois(イヴ=アラン・ボワ、1952年生まれ、74歳)
      短評:October系だが形式主義寄り。理論的難解さはKraussに近い。
      主要著作:『Painting as Model』(1990年)、『Matisse and Picasso』(1998年)

反AI

画像検索したところ、好きな感じだったのは。。

○ドイツ

Georg Baselitz

Markus Lüpertz

Jörg Immendorffはあんまり、、でもどこかの美大の卒展でこういうのを見たような

Martin Kippenberger

Albert Oehlenはなんかオウテカのジャケットのような。。

○イタリア

Sandro Chia

Enzo Cucchi

Mimmo Paladinoは彫刻はいいとおもう(彫刻の顔はあまり好きでないが。。)

Nino Longobardi

○フランス

François Boisrond はまあまあ(人の顔よりも、町の絵がちょっといい感じだった) art randomあり

Richard Di Rosaはなんか教育テレビに出てきそうだった

○アメリカ

David Salleは結構いいかもしれない

Julian Schnabelは、お皿じゃないやつはまあまあ

Eric Fischl(風刺的フィギュア):リュック・タイマンスっぽい?ちがうか、タイマンスは顔のアップばかりか、似てる感じの絵を見たことがあるけど。。

Susan Rothenberg

 

 

アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアの1980年代前半を中心に同時発生したポストモダン絵画運動(主にNeo-Expressionismやその派生形)は、Minimalism/Conceptual Artへの反動として絵画の感情性・フィギュラティブ表現を復活させた国際的な現象です。以下に、国ごとに運動名と主要アーティストをまとめます(ピークはlate 1970s – mid 1980sで、ヴェネツィア・ビエンナーレ1980年やDocumenta 1982年で同時的に注目された)。ドイツ(Neo-Expressionism / Neue Wilden / New Wild Ones)Georg Baselitz(ゲオルク・バーゼリッツ):逆さま絵画の先駆者、ドイツ表現主義の継承者として象徴的存在。
Anselm Kiefer(アンゼルム・キーファー):重厚な素材(藁、鉛)を使い、ナチス・戦争のトラウマをテーマにした暗く壮大な作品。
Markus Lüpertz(マルクス・リュペルツ):英雄的・神話的なフィギュアを歪んだ形で描く。
A.R. Penck(A.R.ペンク):原始的記号・象徴を多用した抽象的表現。
Jörg Immendorff(ヨルク・イメンドルフ):政治的・風刺的なテーマを扱う。
その他:Martin Kippenberger(マルティン・キッペンベルガー)やAlbert Oehlen(アルベルト・オーレン)も後期にNeue Wildenとして影響大。

イタリア(Transavanguardia / Transavantgarde)Sandro Chia(サンドロ・キア):明るく英雄的・古典引用のフィギュアを描く。
Francesco Clemente(フランチェスコ・クレメンテ):官能的・神話的で多文化的なイメージ。
Enzo Cucchi(エンツォ・クッキ):原始的・洞窟のような暗い風景と象徴。
Mimmo Paladino(ミンモ・パラディーノ):神話・儀式的なモチーフを扱う。
Nicola De Maria(ニコラ・デ・マリア):抽象的・パターン重視でグループ内で異色。
その他:Nino LongobardiやMimmo Germanàも関連。

フランス(Figuration Libre / Free Figuration)Robert Combas(ロベール・コンバ):コミック風・ストリートアート影響の強いカラフルで混沌とした表現。
Hervé Di Rosa(エルヴェ・ディ・ロザ):ポップで原始的なフィギュアを多用。
François Boisrond(フランソワ・ボワロン):グラフィティ的・自由奔放なスタイル。
Rémi Blanchard(レミ・ブランシャール):グループの共同創設者で、似たエネルギッシュな作品。
その他:Richard Di Rosa(エルヴェの兄弟)やLouis Jammesなども周辺に。

アメリカ(Neo-Expressionism / Bad Painting / New Image Painting)Julian Schnabel(ジュリアン・シュナーベル):割れた皿を貼り付けた巨大スケールの「Plate Paintings」で象徴。
Jean-Michel Basquiat(ジャン=ミシェル・バスキア):グラフィティ起源の社会的・人種的テーマを激しく描く。
David Salle(デイヴィッド・サール):イメージの重ね合わせ・断片的構成。
Eric Fischl(エリック・フィッシャル):風刺的・心理的な日常シーン。
Elizabeth Murray(エリザベス・マレー):変形キャンバスを使った抽象的フィギュア。
その他:Susan Rothenberg(動物モチーフ)やPhilip Guston(影響源として重要)も関連。

これらの運動は、国境を越えて相互影響を与え合い、1980年代の「絵画ブーム」を作り出しました。ドイツはトラウマ的・暗く、イタリアは詩的・古典的、フランスはストリート的・遊び心強く、アメリカは商業的・多文化的な違いが際立ちます。特定の国やアーティストの作品例でさらに詳しく知りたい場合、教えてください!