7/28

水曜日 朝8:30くらいから遠くまでさまよっていて、ハヌマーンを聞いたりしていたら電池切れになってしまった。帰ってきてサラダを食べた。午後からはお出かけした。雨は少しだけ振った。左ききのエレンを教えてもらって少し読んだ。人身事故があったようだ。ラジオも聞いたでしょうか。ドトールに行って、奥の方の席に座ると圏外になり読書が進んだ(娯楽)。勉強は毎日しないといけない。まんをじしてアイスコーヒーを飲んだ。

 

あけましておめでとうございます。

X-Content-Type-Options: nosniff つかわないやつは死ねばいいのに! - 葉っぱ日記

 

7/17

川端さんの家の庭や裏山を、うっかり掘ると人骨が出てくる。鎌倉駅に近い川喜多長政さんのところでもそうである。骨が出たり、刀剣が出たりする。鎌倉は、古戦場である。古戦場であり古都である
私は京都へ遊びに行くと何かのことで薄気味のわるい思いをするが、鎌倉という町もそうなのだ

 

高見順日記』の昭和三十九年一月二日のところは、「夜、川端家新年宴会へ。初めてビールをのむ。今年初めて見る客。瀬戸内晴美山口瞳」となっている。

 

私たち一家は軍需成金であったから、その頃は、まだ余裕があった。母も高価な着物を沢山もっていたし、書画骨董の類も、とびぬけたものはなかったにしても、大観や栖鳳や玉堂などの画があった。
わたしは堂本印象の大幅の山水画が好きだった。母は古径や御舟のファンであったけれど、その二人の画は無かったと思う。母は、一時、北鎌倉の北大路魯山人と親しくすることもあった。

 

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1860 イタリアのジュゼッペ・ガリバルディが、千人隊(赤シャツ隊)を組織してシチリアの反乱を援助し、両シチリア王国を滅ぼした


1860 咸臨丸の太平洋横断航海


1860 サルデーニャの宰相カヴールは、ガリバルディ南イタリア統治権を献上させた
在位1861-78 イタリア王国の初代国王、ヴィットリオ=エマヌエーレ2世→イタリア統一戦争に終止符を打った。1861王国成立→1870イタリア統一
1861 プロイセンでヴィルヘルム1世が立つ→鉄血宰相ビスマルク


1861 ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』
1866 普墺戦争
1867 オーストリアハンガリー併合。オーストリアハンガリー二重帝国
1869 スエズ運河完成 フランス人のレセップスが計画
1870 普仏戦争→1870-71 セダンの戦いで、ナポレオン3世が降伏し、フランスは第三共和制に。→大統領と首相を置く二頭政治のはじめ。アレクシ・ド・トクヴィルが忘れられた思想家になっていく


社会主義勢力がパリを占領してパリ・コミューンを作る。ガンベッタらの政府軍はこれを潰し、共和国を作った→社会主義


1874 ヴィクトル・ユゴー『九十三年』


1877年、
西南戦争のさ中の明治十年五月二十六日、維新の三傑の一人木戸孝允が京都で客死する。
続いて、西郷の城山での自害。
さらに翌年の大久保利通の暗殺によって、三傑すべてがこの世を去り、まさに、時代は大きく変わりつつあった


1880-81 第一次ボーア戦争 南アフリカで英国とオランダ人入植者とが争う
1882 アメリカで、中国人移民禁止法

 

 

7/16

木曜日

 夜に、御厨貴放送大学の講義を聞きながらうろうろしていた。御厨は高橋洋一さんに顔が似ているという印象、を私はおぼろげに抱いていた。

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星亨、田口卯吉、幸田露伴


原敬
浜口雄幸
犬養毅
後藤新平


大野伴睦鳩山一郎

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「穎才新誌」に対する紅葉と露伴の態度の違いは、のちに作家となってからの、二人の、作家という職業に対する思いの違いに反映している。
紅葉は最後まで自分が作家であることに、つまり物語作者であることに、誇りを持っていた。
露伴が一生かけて目指していたものは別の物だった。別の大きな物だった。その「別の大きな物」を表現するために、時に露伴は、小説という形式を使った。

坪内「英語と漢文の間で」59

 

 

紅葉は武士の子である江見水蔭に向って、「や、君と斯うして交際するのも、明治の御代の難有さだ」とも言ったという。
紅葉のこの心配は、けっして杞憂ではなく、紅葉ととても親しかった先輩文人、依田学海(もと佐倉藩藩士)は、
その事実を友人から聞かされた明治二十四年三月二日の日記に、
「初めてしりぬ、尾崎徳太郎が彫刻師黒斎の子なるを。
黒斎は彫刻をよくすれども、幇簡の如き生活を為して、常に赤き外套をうちはふりておかしき事をいふものなり。
図らざりき、かゝるものゝ子紅葉の如き才子あらむとは」と書き記している。

坪内「二つの誕生日を持つ男たち」38

 

すでにというのは、逍遙は明治二十年十二月一日、外骨の仲介によって、当時の文学世界の大物、依田学海に初めて会うことになるからだ。
この時外骨は二十一歳。逍遙はその八歳年上、そして学海は三十四歳年上である。

坪内「自由民権運動の時代に」69

7/14

水曜日

朝、起きたときから、かっこいい曲を思い出していた。TOKIOの曲だったはずで、TOKIOの曲にしてはなぜか甲斐バンドっぽさを感じる曲だけど実際には中島みゆきが作った曲だった、(この歌詞を中島が書いていると思うと良い)と思い出して、でも調べると、それは、甲斐バンドの、東進の日本史の先生みたいなひと(甲斐さん)がTOKIOに提供した曲だった。その曲のギターソロ、よれよれなそれを一緒に思い浮かべていて、TOKIOのその曲に合っている感じがするけど、するとそれは、甲斐バンドの別の曲のギターの音だった

 

あの頃に帰って、『オン・ザ・ロード』(ジャック・ケルアック 青山南河出書房新社 世界文学全集I-01)を読んでみました 1、ニューヨーク→デンヴァー→サンフランシスコ→ロスアンゼルス→ニューヨーク

あの頃に帰って、『オン・ザ・ロード』(ジャック・ケルアック 青山南訳 河出書房新社 世界文学全集I-01)を読んでみました - osawatatuoの日記