3/22

月曜

サイゼリヤで、太宰治道化の華」を読んでて、大庭葉蔵さんの友人・飛騨さんが「濡れた外套を着たままで、病室へおどり込んで来た」。「古典風」では、貴族の息子、美濃十郎が下女と恋仲になっていた、のを思い出したりする。ハンバーグなどを食べた。隣のテーブルでは春から働くみたいな、卒業旅行の雰囲気のある人々がいてスプリットタンにしたいと言っていた

懶 癩 癇 癪 瘢 痕

夢を見ていてメモしようかと思った。大学の卒業式で打ち上げなども終わって、先輩の家なのか和風の古い家に入る。電灯の紐がさがっている。裏口から今に入って、そのまま玄関から帰った。玄関、やや薄暗い

大村彦次郎「文壇栄華物語」(1998)には太宰は特に出てきていなかった気がする。

夜は、セブンで

candysearchlight.hatenablog.com

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3/20

3/20土曜日

 

"四人の若者はホウロウびきのベンチに掛けて、たばこを吸っていた。難破した水夫のようだった"

アントニオ・タブッキ「遠い水平線」23

 

"『テンペスト』第一幕第一場は、嵐の海上の船。その甲板に稲妻が閃いて雷鳴が轟き、船
長と水夫長が登場する。嵐を恐れる船長は、水夫長に呼びかける―ー「水夫長(ボースン)!」と。
シェイクスピアの『テンペスト』はそのように始まり、"

橋本治「浮上せよと活字は言う」11

 

電車に乗ってお出かけしなかった。自転車で図書館に行ったりする。カフェにもいかなかった気がする。図書館の前にホールがあって、合唱の発表会がやっているらしかった。受付に男の人がいて背後(といっても上の天井に近いあたり)に、人型の暗色のオブジェが二体せり出していた。駐輪場までいくとさらに奥まで見え、そんなようなオブジェクトは全部で六体くらいあっただろう。

図書館で椅子が間隔をあけて、並べられていてそこに座って少し本を読んだ。Boatswain

カードの更新もする

夜10時頃、人から汚言症のひとの動画が送られてきて見た。youtuberとして活動していて20~30個(本?)くらい動画をあげていて、自分で歩きながら身体を映して話している映像の他に、顔出ししている動画もあって、コメントでイケメンですね!とあった

 

http://nihonbashi-shipping.co.jp/

3/13、3/14

土曜日

なんか雨が降っていて、なんか雑居ビルみたいな。ところにいて、雨宿りしていた。一階で食べ物の屋台があって並んでる人もいた。僕は雨宿りしている。c1000レモンを買った。2階に上がると図書館があった(昔の本ばかりある)。地下一階まで降りたら喫茶店(富士山の絵が飾ってる)とか、ゲームセンターがあった、傘は持っている

テレビで高島さんというプログレの好きな俳優の人とか、吉沢亮が、出ていて。何かアイデアを考えつく物語をやっていた。

それから散髪しに行った。(マクドナルドにも行ってしまった。半年くらい前まではマクドではサラダを頼んだりけっこうしていた)美容院ではずっと宇多田ヒカルが流れている。アシスタントみたいな女の子が変わっていて可愛かった。後で友達から連絡が来て、その人からも女の子可愛くなかった?と来ていた。(同じところで髪を切っている)友達は朝からシンエヴァを観たようだ。

ずっと宇多田がかかっているのは「エヴァ祭りで・・」と散髪の人は言ってたけれどその人自身はエヴァを経験したことがない(と言っていた)

それから本を買ってしまって、

ジョン・フォークナー「響きと怒りの作家 フォークナー伝」my brother Bill(荒地出版社,1964)、

中村光夫「フロオベルとモウパッサン」(講談社、1967)

カフェに入って中村光夫のほうを読み出した(その前に居酒屋が潰れたのを見た)

電車では違う本を読んでいたと思う。あとけっこう仲のいいひとと醤油についてLINEしていて、ブルーになってしまった。この日は荷物も受け取った

高田馬場から新宿くらいまで歩いて、久しぶりで泣きそうにはならなかったけれど・・グローブ座があった

ラジオは藤木直人のやつとか、松尾潔さんとグローバーさんと島袋さんのTLCを語る番組を聞いていた

https://twitter.com/deja_lu/status/1308834828687749123?s=21

 

日曜日

夢を見て起きて、夢は「緑の生い茂った土手を歩いていて、斜面に灰色のちゃんとした排水溝があって、そこに活字で問い合わせの文が書いてあってその上に○○が点々と落ちている」というものだった

知ってる人の出る演劇があるみたいで、MTのライブもあったけれど両方ともチケットは無いみたいでそれはやめて自分もシンエヴァを観に行くことにした

45分からで、自転車で映画館まで行ってて、建物に着いたのは44分くらいでシアター3に入ったのは50分くらいだったかもしれない

3/1, 3/5, 3/7

3/1月曜日

夜に友達から電話がかかってきて、出た。2020年のお正月ぶり。「女は?」と言われた

3/5木曜日

休みだった。ブルックリン・パーラーに行く、奥の方に大学生のサークルの集まりみたいな人々がいた。薄暗い。レモネードをスマホから注文してリチャード・ウィーラン「キャパ その青春」を読んでいる 店員さんは前の方にカウンター越しに背の高い人と普通くらいの人がいて、背の高い人はやや目を細めてふくろうずの元ドラムのひとに少し似ている 上の方に映画館がある、一階にはシナモンカフェがあって、小ぶりな扉があるけれど中は見えなかった ここの映画館に行ったことあっただろうか、アウトレイジを見にきたのかもしれない

3/6土曜日

朝から起きていて夕方眠くなる。5時くらい、ストーブをつけている。町田に行く、八時くらい。大村彦次郎「文壇栄華物語」(1998)をぱらぱら読みながら。南町田グランベリーパークまで行ってしまった。乗り換えも間違えてしまった。「文壇栄華物語」は最初のところで菊池寛文藝春秋社が解散になるので(昭和二十一年三月)、1926年(昭和元年)12月25日〜芥川の自死(1927年〈昭和2年〉7月24日)を過ぎたあたりまでが書かれていた猪瀬直樹「マガジン青春譜」(1998)は、私は2月27日に読み終わっていたみたいだったが、なので昭和になってから終戦までが抜け落ちていることになる

武田麟太郎 織田作之助の評伝から、)大谷晃一、大宅壮一と大谷晃一

3/7日曜日

休み。トルーマン・カポーティ「クリスマスの思い出」A Christmas Memory(1956年)をよみおわった(みじかい)

46. 「当時も、そしていまも、共産党のもっとも忠実で行動的な支持者の多くは、ブルジョアであることを放棄したインテリ」「ベートーヴェンの五番を口笛で吹きながら、髪の長い若者たちを殴りつけていた」

 

blog.nogizaka46.com

3/6

金曜日

エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ
(ドイツ語: Elisabeth Amalie Eugenie von Wittelsbach、
1837年12月24日 - 1898年9月10日)
は、オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝(兼国王)フランツ・ヨーゼフ1世の皇后。
「シシィ」

エリーザベト オーストリア皇后

【今日の墓碑銘】
1898年9月10日。エリーザベトが死去。オーストリア皇后。16歳でフランツ・ヨーゼフ1世の妃となる。自由奔放な性格のためウィーンの宮廷に馴染めずハンガリーを熱愛した。スイスへの旅行中に無政府主義者により暗殺される(60歳・刺殺) #死は生を最後に完成させるもの

 

アンリ・ヴァロトン

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モーリス・バレス:Maurice Barrès、1862年8月19日 - 1923年12月4日)は、フランスの小説家、ジャーナリスト、社会主義者、政治家。ナショナリズム反ユダヤ主義的な視点による政治的発言でも知られ、フランスにおけるファシズムの思想形成に大きな役割を果たしたとされる

モーリス・パレオログ:13 January 1859 – 23 November 1944) was a French diplomat, historian, and essayist. He played a major role in the French entry into the First World War, when he was the French ambassador to Russia and supported the Russian mobilization against Germany that led to world war. 

ポール・モラン:Paul Morand, 1888年3月13日 - 1976年7月24日)は、フランスの作家、外交官である。短編集『夜ひらく』(1922 年)、『夜とざす』(1923年)で一躍ベストセラー作家となった。

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レーモン・シュヴァリエ

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