11/15(最近気になった本の列挙)

火曜日 最近気になった本の列挙、

テリー伊藤『お笑いプロ野球殿堂 ダメ監督列伝』 (知恵の森文庫)
郡司ペギオ幸夫『かつてそのゲームの世界に住んでいたという記憶はどこから来るのか』
久世 光彦『早く昔になればいい 』(新潮文庫)
松本 清張『半生の記』(新潮文庫)

 

平井一麥『六十一歳の大学生、父野口冨士男の遺した一万枚の日記に挑む』

山本伊吾『夏彦の影法師―手帳50冊の置土産』

佐野眞一『枢密院議長の日記』2007.10←new

 

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』、朝日出版社、2011年

岸政彦『断片的なものの社会学朝日出版社、2015年

松村圭一郎『うしろめたさの人類学』ミシマ社、2017年

下西風澄『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』2022

 

 

ディドロ「ブーガンヴィル航海記補遺」 中央公論社「世界の名著」、1970年

    改訳版は      ブーガンヴィル 著 , ディドロ 著 , 山本淳一 訳 , 中川久定 訳 、岩波書店「シリーズ世界周航記2」、2007年

鷲見洋一、小倉孝誠、岑村傑監訳『身体の歴史』全3巻 藤原書店、2010年

ジョナサン・リテル、菅野昭正、星埜守之、篠田勝英、有田英也訳『慈しみの女神たち』集英社、2011年

ジェイムズ・メリル「サンドーヴァーの光」三部作、書肆山田、2000-2008

キャサリン・ダン『異形の愛』 柳下 毅一郎 (翻訳) 、河出、2017

 

 

 

02:福田和也不本意な覚醒——ヴィットリーニファシズム、ユンガーとナチズム」 今年に入って二冊の邦訳、『追悼の政治——忘れえぬ人々/総動員/平和』(川合全弘訳、月曜社、2005/01、amazon.co.jp)、『ユンガー=シュミット往復書簡——1930-1983』(山本尤訳、法政大学出版局、2005/03、amazon.co.jp)が刊行されたユンガーと、 『人間と人間にあらざるものと』(イタリア叢書、松籟社、1981/01、amazon.co.jp)につづき二冊目の邦訳となる『シチリアでの会話』(鷲平京子訳、岩波文庫岩波書店、2005/02、amazon.co.jp)が邦訳されたヴィットリーニを俎上にのせた文章。論考というよりは、これらの書物を紹介する小文であった。

⇒作品メモランダム > 2005/01/25 > ユンガー『追悼の政治』 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050125/p2

⇒作品メモランダム > 2005/02/17 > ヴィットリーニシチリアでの会話』 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050217/p1

■ - 作品メモランダム

 

セブンイレブンのようさんと焼肉の話をしていた。。

 

ノンフィクション作家
木村元彦 1962
増田俊也 1965
田崎健太 1968

加藤弘士 1974
鈴木忠平 1977-
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サッカー
小倉純二 1938
大住良之 1951
川端康雄 1955
陣野俊史 1961

1970年代のプロ野球について調べた

本編

 

おわりに

いかがでしたか?今日はここまで、1970年代の日本球界を振り返ってきたのですが、ところで、落合のプロ入りが1979年、どんでんが1980年、原さんが1981年なんですよね。

2022年10月の読書メーター
読んだ本の数:5冊
読んだページ数:1159ページ
ナイス数:20ナイス

https://bookmeter.com/users/378665/summary/monthly/2022/10
■詩と自由―恋と革命 (詩の森文庫)
最後の「おぼえがき」で、”陸軍より海軍のほうが文明的かと思い、海軍のドイツ語通訳(軍属)となってジャワに送られた。オーストラリアと対峙するそこで、私は、太平洋各地の海軍基地で用いる擬装用植物の種目をあげた小冊子を、植物学者の助けを得て、つくった。これが私の最初の著作であり、詩である。”とあり、鶴見俊輔も(林芙美子と同じく)ジャワにいたのかと。「黒田三郎」の項を見返すと、”戦争中のジャワで黒田三郎に会ったら、彼をたよって、「荒地」にいれてもらっただろう。”と書いてあり、黒田もそうだった
読了日:10月29日 著者:鶴見 俊輔
https://bookmeter.com/books/138133

■渡世
「渡世」という詩の次の部分: 

お尻にさわる/
いい言葉だ/
日本が残すことのできる言葉は/
これくらい/
しか/
ないだろう/
というところに来た/
それは言葉がすべてあまさず/
そこにあるもの見えるものだけにくっつく/
よろこびを知りそこに憩ってしまったからだ/
このあまりの静けさ、掩蔽感は/
だが/
この世の/
誰の顔にも似ていない/

を引用していたブログがあって、気になって読んでみた。。掩蔽はえんぺいと読むらしい。
読了日:10月28日 著者:荒川 洋治
https://bookmeter.com/books/185357

■戦後代表詩選―鮎川信夫から飯島耕一 (詩の森文庫)
この本は、鮎川信夫大岡信北川透の3名による1986年の『現代詩読本/ 現代詩の展望』「戦後詩100選」アンソロジーを再編集したもので、解説は野沢啓。1986年のアンソロジーを受けて、1994年には、正津勉荒川洋治、野沢啓による『現代詩手帖』6月号の特集「現代詩の99選」座談会があったとのこと。巻末の討議で、北川の”ただ当事者同士は例えば平出隆稲川方人荒川洋治をすごく嫌っているでしょう。それから「麒麟」の人たちも彼をほとんど評価しませんよね。”
読了日:10月26日 著者:
https://bookmeter.com/books/465580

吉田知子 (無明長夜) 森万紀子 (単独者) 吉行理恵 (小さな貴婦人) 加藤幸子 (夢の壁) (女性作家シリーズ16)
なかしまあさみさんのTwitterで森万紀子の名前を知り森の作品目当てで手に取って他の作家のも含めて全て読んだ。小説の分厚い本を読めてよかったと思う。載っているのは短編だが、他に読んでいる人もあまりいないようだし。。森万紀子「単独者」(1965)、吉行理恵「迷路の双子」(1985)の2作品で女の主人公で、やや気持ち悪い男が接近してきて誘われ、まあこいつでええかという感じで受け入れ、特にそれで救われることもない。という一連の流れが書いてあってよかった。あと以前読んだ林芙美子「骨」(1949)も近い感じがした
読了日:10月16日 著者:吉田 知子,吉行 理恵,加藤 幸子,森 万紀子
https://bookmeter.com/books/246732

■オリの中の虎―愛するタイガースへ最後に吼える (ベースボール・マガジン社新書)
どんでんは野球エリートだね。改めてよくわかった。食い物の描写がたまにあり、監督時代の「遠征に出ても、ホテルの食事が食べられへんから、マネジャーに頼んで弁当を買ってきてもらった。何か口に入れんとあかんと思って、真夜中にお茶をぶっかけて、無理にノドへ流し込もうとしたこともあった。それでも戻してしまった。」(038)とか、「お好み焼き屋に専用のイスを持っているプロ野球の監督なんて、おれくらいやろ。ああ、ほんで肝心の明石焼きよ。これはたこ焼きなんやけど、続
読了日:10月08日 著者:岡田 彰布
https://bookmeter.com/books/482270


読書メーター
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詩人

鮎川信夫 1920-1986
大岡信 1931-2017
北川透 1935-

正津勉 1945-
荒川洋治 1949-
野沢啓 1949-

平出隆 1950-
稲川方人 1949-

朝吹亮二 1952-
林浩平 1954-
松浦寿輝 1954-
松本邦吉 1949-
吉田文憲 1947-

財部鳥子 1932-2020

黒田三郎 1919-1980
田村隆一 1923-1998
石原吉郎 1915-1977
宗左近 1919-2006
犬塚堯 1924-1999
黒田喜夫 1926-1984
長谷川龍生 1928-2019
藤富保男 1928-2017
川崎洋 1930-2004

北村太郎 1922-1992
安東次男 1919-2002

吉岡実 1919-1990
会田綱雄 1914-1990
草野心平 1903-1988
鷲巣繁男 1915-1982
大野新 1928-2010

引用

mignonbis.at.webry.info

 

2009年04月12日
内子町大江健三郎の故郷訪問、回想記+北烏山に詩人・北村太郎の墓
俳句 文学 詩

 さくらの夜 一生(ひとよ)ながしと 倦(うん)じゐる     (森 澄雄)

 満開の夜桜を眺めたとき、普通ならひとは幻惑的なムードに浸ったり、豪奢な気分に酔ったりするでしょう。ところがこの作者は、一生は長いなあとうんざりする、と呟きます。別に拗ねた性格ではありません(笑)。そうじゃなくて満開の桜があふれんばかりの生命感の充実を示すのに対して、圧倒され、いわば桜の生のエネルギーに眩暈を感じたがために、倦怠の気分になる、というのでしょう。うん、なんだかよくわかります。わが家の界隈の桜は、今夜はもうかなり散ってしまい、葉を茂らせはじめました。春は本番です。

 大江健三郎さんの小説『憂い顔の童子』を読了します。これで『取り替え子(チェンジリング)』、本書、『さようなら、私の本よ!』と、いわゆる「レイターワーク」三部作をまとめて読みました。しかしどれも長いなあ(笑)。普通の小説なら長篇を10冊ほど読んだな、という満腹感があります。本書は、文庫本の解説のリービ英雄さんも言うように、副主人公?のように、ローズさんという、中年アメリカ人でありながら大江研究(小説では「長江」ですが)を続けていて「四国の森」の一軒家で長江コギトと一緒に生活を始める女性存在を置くことで、当該の物語と、これまでの大江作品との照応が自在になされ、大江文学の「読みなおし」が実践される、という仕掛けを持っています。つねに「小説の方法」に自覚的な作家らしいなあ。

 しかし本書を読みながらずっと気になっていたのは、「真木町」が内子町であるのは描かれる地誌の記述からも納得なのですが、この一軒家のある「十畳敷の岩鼻」というのはどのあたりだろう、とか、「母親の墓地」とは大瀬村のどのあたりだろう、とかいうことでした。つまり前回も書いたように30年前と、もう一回、これはBindexのDiaryを確かめると2003年の8月8日のことでしたから、もう五年半前ですが、大江文学のトポスである愛媛県内子町の大瀬村をフィールドワークした体験を持つために、つい実際の地理空間に還元させて、虚構世界の舞台のモデルを探したくなるのですね。ま、作者自身が作中でローズさんに似たような役割を与えているわけですが(笑)。そしてこのことは、たんなるゴシップ的な関心というようなものではないはずです。大江文学では例の「村=国家=小宇宙」の思考モデルを引き合いに出すまでもなく、「四国の谷間の村」が特殊な村落なのではなく神話的想像力に訴えて、物語を普遍性を持った場所での出来事にしてしまいます。だからこそ?、実際のその地理を知ることは、神話作用の生成原理を体感できることにもなるわけです。(やや屁理屈めいていますが(笑)。)

 大江作品でよく登場する「三島神社」は、これは行ったらすぐわかりました。長い石段の参道も、大銀杏の木も確かに境内にありました。五年半前の探索で大きな収穫だったのは、大江家からは川を渡ってしばらく歩いたところにある大瀬中学校でしたね。広いグラウンドの向こうに建設されたのは、コンクリートの打ちっぱなしスタイルのポストモダンふうの校舎。これは大江さんと親交のある建築家・原広司さんの設計になるものです。まあ山の中にこんな中学校があること自体がドラマですが、なんとなく無断で(笑)夏休みの校舎を見学させていただきながら、ここで学んだ三年間はきっとステキな記憶となるだろうな、という思いがありました。そして特徴的だったのが、円筒形の音楽室です。ここは、『燃えあがる緑の木』三部作のなかでは「教団」の集会所として登場するのでしたが、そうそう、『憂い顔の童子』でも地元の中学生らの悪だくみで、長江やローズさんやアカリらがおびき出されて大音響の攻勢を受ける、という場面で「使われて」いましたね。ああ、あそこだ、とカタルシスです(笑)。

 それから中学の前の小高い丘状のところを帰りがけになんとなく登ってみます。するとここが庚申山ですね。中腹に小さな祠があって、それが庚申塚?だったかな。大江氏のエッセイを読むと、ご母堂が小遣いをカンパされてこの祠の維持に尽力されたとか。そんな次第で、大瀬村は大江文学の鍵になる場所ですね。車がないと松山市からはちと不便ですが、大江文学の読者には探訪をお薦めします。色んな発見があるでしょう。

 さてわが家からほど近い北烏山には、寺町通りといって、江戸期に古いお寺が集まって出来た一画があります。京王線千歳烏山の駅前から出ている久我山行きのバスの乗れば、すぐです。確かお寺が40軒ほどもあるので、お彼岸のころはかなりの混みようでしょう。界隈はわが家から自転車で10分ほどの距離。ちょうどいい散策コースなので、以前はしばしばペダルを漕いでいきました。しかしこのところ、寺町にはすっかりご無沙汰です。それに病み上がり、まだ三半規管のダメージが残って、左の難聴と軽い立ち眩みが治りません。だから自転車に乗るのもまだ安全とはいえないのかもしれませんが(笑)、金曜の夕方、左右には十分注意して、ゆっくりと界隈を走りました。

 通りをしばらく久我山方面に行くと、右手に緑の生垣があって、インド風の本堂の建物が特徴的なお寺が見えてきます。ここが妙祐寺。あたりはまだ明るい夕方です。自転車を停めようとすると、おや、門が閉まっていますね。五時を回ったからでしょうか。そういえば辺りのお寺もみんな閉門です。(後から調べると、なんでも近年、ここらのお寺には経済不況の影響か、お賽銭泥棒が横行するので、自衛の手段に出ているそうです。きっとそのせいでしょう。昔はこんなに早く門が閉まることはなかった。)そんなわけで、久しぶりのお墓参りは実現できなかったのですが、ここ妙祐寺の墓所には、詩人の北村太郎さんが眠っておられます。大正11年のお生まれでしたが、平成4年に亡くなりました。享年70でしたか。北村さんは本名が松村文雄。よって墓石には「松村家之墓」という文字が刻まれていますね。

 北村太郎さんとは、当時は当方もまだ30歳ほどと若かったですが(笑)「無限アカデミー」というセミナーで公開対話をしていただき、それ以来、心やすい気持ちでいました。しかし実際にお目にかかったのはその後も数えるほど。当時は60代でしたがジーンズのよくお似合いの若々しいおじいちゃん、というお人柄でしたね。まあ当時の北村さんの私生活は、先年にねじめ正一さんが小説『荒地の恋』に書かれたような、ドラマティックな恋愛を経験されておられたわけでしたが。そう、北村さんの詩には、最初の詩集から「墓地の人」という題名の詩があるように、お墓や死者のことをテーマにしたものが多かったのですね。そんなご自身が烏山の「墓地の人」となられて、もう17年がたつのですね、早いものだなあ。

 僕がここ仙川に越してきたのが13年前。その数年後、なんの拍子だったか、北村さんのお墓がここにあるのを知って、やはり自転車で訪ねたのです。墓所はそう広くはないものの、いったいどれがそれかわからず、ご年輩の大黒さん(住職のおかみさん)に尋ねたところ、わざわざ案内をしてくださいました。「今でもね、若い女性のファンのかたがかなりお参りにみえてますよ」とは、大黒さんからうかがった話。毎年秋には横浜を中心に「北村太郎の会」がずっと続けて開催されてますから、太郎人気というのは根強いのでしょう。ただし北村さんの詩は、シンプルな文体で綴られているのですが、決して読み解くのはやさしくはない。何年か前に或る授業で北村さんの詩を教材に使ったら、「よくわかんない」という声が洩れていました。それ以来、教材には用いません。うーん、淋しいですがねえ。ただ、ここのお墓の前に、若い女性たちからの香華が絶えないことを願っていましょう。

 おしまいの引用句は、じゃあ北村さんの墓地の詩から、前半の何行かを引きましょう。じつに北村太郎的風景とでもいうべき世界が現前します。

「春はすべての重たい窓に街の影をうつす。
 街に雨はふりやまず、
 われわれの死のやがてくるあたりも煙っている。
 丘のうえの共同墓地。
 墓はわれわれ一人づつの眼の底まで十字架を焼きつけ、
 われわれの快楽を量りつくそうとする。
 雨が墓地と窓のあいだに、
 ゼラニウムの飾られた小さな街をぼかす。」
                                     (北村 太郎  「雨」  『北村太郎詩集』)