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滝沢朋恵さんと中川裕貴、バンドがライブをやっていて見た hikaru yamada さんが中川さんにかんしてArthur Russell が好きな人は好きだと思うというようなことを書かれていて、私はArthur Russell は殆ど聞いたことないがなんとなく自分の好きな感じの音楽なんだろうなぁとは思っていたし、バンドメンバーとして知っている人が参加するようだったので行ってみたのだ 滝沢さんのことは名前だけ知っていて初めて音楽を聴いたがとてもよかった 中川さんのバンドはあまりよくなかった ひょんりに似た女の人が近くにいて挨拶しようかと思った 今日は暑い日で、炎天下の中1時間ほど列に並んでいて、それから家に帰って休憩していると手が震えているのがわかった

 

やっぱりおまつりのある街に行ったら泣いてしまった

ジョナサン・レセムのノート

エレファントカシマシの「シャララ」が好きで、syrup16gの「クロール」や「デイパス」が好きなのと同じことだ。曲の構造が似ている

チャットモンチーのベーシストが「サビがどこだかわからない曲が好きだった」と書いた

ワグナー事件


じゃあ今日もまず、引用から。という一言から、いつも、その社内紙に連載されていたコラムは始まっていた。


「できることなら、自分は淡々としてニュートラルでいたい。そうしないとものが見えなくなってくるからである」(中島らも『西方冗土 カンサイ帝国の栄光と衰退』から)

おひっこし

エレファントカシマシは1981年に結成、1988年にエピック・ソニーよりシングル「デーデ」でデビュー。ウルフルズは1988年に結成され、1992年に東芝EMIからシングル「やぶれかぶれ」でデビュー。

エレファントカシマシは「1999年、フェイス傘下のバリアフリーレーベルとポニーキャニオンとの契約が終了したのに伴い、バリアフリーレーベルごと東芝EMIに移籍」した(鍵括弧内はエレファントカシマシWikipediaから引用)。

宮本浩次さんは1966年6月生まれ、トータス松本さんは1966年12月生まれで、二人はともに50歳(2017年3月時点で)。

 

THE YELLOW MONKEYは1988年結成、1992年に日本コロンビアよりシングル「Romantist Taste」でデビュー。ゆらゆら帝国は1989年結成、1992年にインディーズレーベルからファーストアルバム『ゆらゆら帝国』を発売。1998年にミディと契約しメジャーデビュー。The ピーズは1987年結成、1989年、ビクターからシングル「バカになったのに」でデビュー。

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2月24日に、「『愛と夢』と『good morning』の間、『風』と『starting over』の間には、断層があると思うけれども、2006年3月リリースの『町を見下ろす丘』は未聴なので、2つ目の断層が、『風』と『町を見下ろす丘』の間にあるのか、『町を見下ろす丘』と『starting over』の間にあるのかがわからない」と書きました。それがそのまま記録に残っていましたからね!確認することができました。

 

えーっと、、、さっき、Mega City Fourのデビューアルバム『Tranzophobia』(1989年リリース)のAmazonレビューを見てて、そこにはバンドのリードシンガーであったウィズさんが2006年12月6日にロンドンで亡くなったことが書かれてありました。

 

それから、わたずぬさんの「ぢるぢる☆びしゃしゃんずぬ」っていうブログにも、Mega City Fourのことが書いてました。これです。http://sinitainaaaaa.blog39.fc2.com/blog-entry-3.html

 

エレカシの2006年は、というと、3月に『町を見下ろす丘』をリリースしてからは、5月から7月まで、「今をかきならせ」ツアーで全国をまわったみたいでした。12月は新曲を作ったり、練習したりしてたのでしょうか?

 

『Tranzophobia』がリリースされた1989年は、エレカシサードアルバム『浮世の夢』が出た年でもあるみたいですが

カラオケの十八番

2008年6月2日の菊地成孔さんブログ「ウガンダ・トラ死す」から、第4パラグラフを

 

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ビジー・フォーはジャズ上がりのクレージーキャッツ、ファンク/ソウル上がりとパブリックイメージされるも、ハワイアンやロカビリーやカントリー勢が主流を占めていたザ・ドリフターズの次世代である、ソウル/ディスコ/R&B/オールディーズ・ポップスをバックボーンにしたコミックバンドで(グッチ祐三さん、モト冬樹さんが在籍していました)、所謂、「六本木のディスコのハコ」上がりの不良によって結成されました。「ハコ」文化の音楽性、風俗性が、年代と地域によってどう区分されていたか、などという話に興味がある若者は、そのうちこの国から一人も居なくなるでしょう。南さんの「白鍵と黒鍵の間に」は、その生々しい証言の一つであり、日本の、裏の芸能/文化史の血脈に繋がっています。

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