4.2 ナボコフのロリータ

土曜日

 

ナボコフのロリータ

71-, 11章

日記。1947年6月のほとんどの日を収録。

5月30日について、

 

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木曜日。昨夜、私たちはピアッツァで座っていた。ヘイズの奴、ロリータ、それに私だ。あたたかい夕暮れがもうすっかり艶めかしい暗闇に変わっていた。女主人はたった今、いつか冬にLと一緒に観た映画の筋書きを事細かに語り終えたところだった。ボクサーがひどく落ち込んで、気のいい牧師に相談するという話だ(この牧師も屈強な若者だった頃はボクサーをしていて、まだ今でも罪人を殴り倒せる)。

 

107 私たちは空想としか思えないほど、神々しいまでに二人きりだった。

 

109 その後すぐに(まるで取っ組み合いの喧嘩をしていて、つかんでいた私の手の力がちょうど今ゆるんだみたいに)、彼女はソファから転がり落ちて、すばやく(片足で)起き上がり、恐ろしく大きな音で鳴っている電話に向かおうとしたが、私が気づかなかっただけでひょっとするとその電話はもう何年も鳴りつづけていたのかもしれなかった。

141, 147 ジーン・ファーロー、ジョン・ファーロー

18章と20章、終わりが対称的な構成

21章の注釈、ビーヴァー・イーター
ロンドン塔の衛兵は、俗に「ビーフイーター」と呼ばれ、バッキンガム宮殿の衛兵はビーヴァー帽をかぶっている

23章 175 フレデリック・ビール・ジュニア

26章 195,196 刑務所、1947年の8月15日あたり

196 パーキントン ヘイジイ・ヒルブライスランド

198 彼女が重いスーツケースを引きずり、あちこちにぶつけながらやってきた。「やあ!」と言ってじっと立っている彼女は、ずるくて嬉しそうな目で私を見つめ、やわらかな唇は開いていて、少し愚かだが実に愛くるしい笑みを浮かべていた。

199 彼女は全身が薔薇と蜂蜜で、小さな赤い林檎の模様が付いたとびきり華やかなギンガムを着て、腕と脚は濃い金褐色を帯び、そこには掻き傷が凝固したルビーの小さな点線みたいについていて、白い靴下の畝になった折り返しは記憶していた低さにまで下ろされ、

 

第二部 255-

264 セイタカアワダチソウ

270 北米平原部の田園風景

272,273 道筋

 

274 私たちが何度も何度も通り過ぎたアメリカの道路沿いのレストランは全範囲に及び、

→280 陰鬱な砂浜沿いに立ち並んでいるどこの食堂のどこの窓にも、死んだか半分生きている、魚の臭いがする蜻蛉が無数にいる

 

281 ローから、一体いつまで、と

292 ホンダワラのような肺臓

297,298 アメリカの荒野について

306-307 「もしも何らかの形で運命に介入し、、、

311 旅行の振り返り、総括


321. ハロルド・D・XーX 中西部の大学で教える夢みがちな左翼かぶれの教授

 

346,11章、1948年12月

353,12章、1949年1月は蒸し暑く、2月には連翹が騙されて開花した

353 ドリス・リー、グラント・ウッド、ピーター・ハード、

レジナルド・マーシュ、フレデリック・ウォー

354, 13章、春がセイヤー街を、、ロリータは舞台に狂う、演劇というのは大嫌いだ

 

361 ああ、なんと彼女は変わってしまったことか!

363 母親の下宿人だったときに私がなんと私が何度もレイプしようとしたと彼女は言った。きっと私が母親を殺しんだと彼女は言った

 

374 そこの開けはなしたドアからラジオの音楽が流れていて、そのリズムが風に魂を注ぎ込まれた草木のうねりやはためきなどの仕草と調子が合わないので、震える花や揺れる枝とはまるで無関係なピアノやヴァイオリンの伴奏が流れるなか、自分勝手な生を生きている昔の風景映画を見ているような印象だった。

375,376- カスビーム、カスビームの床屋

 

17章、380- でぶのガストンからハンバーグさんへプレゼント

https://twitter.com/yu_ichi_japan/status/136811536449667073?s=21&t=GqE2BsKgRGghro6YwXk_wQ

 

382 拳銃 使い方を二年前、私とシャーロットとのゆかりのグラス湖畔にある松林の中で習った

 

383- 18章

384 トラップ、386 スイスにいる父の従兄ギュスターヴ・トラップ

390 ある天気のいい六月中旬、クレア・クィルティとヴィヴィアン・ダークブルームという二人の脚本家

→392 ヴィヴィアンというのは男の作者で、女の作者はクレア、彼女は40歳で、結婚していて、黒人の血が流れてる

391 自然は己が目にした光景に呆然とする,というのが私の持論だ(?)

 

393- 19章、

393 私の本を映画化したいと思う人がいるなら。。

394-395 モナからの手紙

396 彼女(ロー)は永久に去ってしまったのだ

私にわかるのは彼女が永久に私のもとを去ったとそのとき確信したことだけだ

396 町をぐるりと取り囲んでいる,知らん顔をした藤色の山々は,その霞の中に消えていく,息を切らし,必死によじのぼり,笑いながら,また息を切らすロリータたちであふれかえっているように見えた

397 私はどこの店ものぞき込んだ。まばらな通行人の誰でもいいから呼びとめて話してみようかと,内心では熟考してきた

397 彼女は現れた

 

402トラップ、403トラップの車の色、車種

405 この2年間というもの、ローは運転の基礎知識を仕入れるだけの時間がたっぷりあったという事実

 

408 テニス

415 ビルミード、フェイページ

 

22章 422-

423 気まぐれなショーガールが涅槃に向けて飛び立つ踏み台になった場所を、、

 

428 60マイル遠くまでドロレスのために買いに行った7冊の本

431 シャルル・ペローの童話「青髭

 

436 七月初旬

 

23章 438- 赤い悪魔が初めて登場する予定になっていたカスビームから、独立記念日の1週間前に到着した運命のエルフィンストーンまで、1,000マイル。6月のほとんどが潰れた

 

441 スパンコールをまとったアクロバットが、、、かかしの恰好をしてgrotesqueな酔っぱらいの真似をしながらたわんだ綱をよろよろと渡る曲芸師のほうが、、、

 

449- 25章 消え去ったドロレス

452 冬の残りと続く春の大半を、ケベックの療養所で過ごしてから、ニューヨークで仕事を片付け、カリフォルニアに移って調査

 

456 身長60インチ 152.4, 体重90ポンド 40.8

457 リタ

→459 ぐるぐるぐるぐるとまわっているのよ まるでいかれたカイコガみたいに

 

470 リタの母親から手紙。ジョン・ファーローからの手紙

 

424 モーテルを経営するヘイズ夫人、妹がスイス人のスキー教師と結婚

→472 ジョン・ファーロー、スペイン人の女の子と結婚。結婚相手はとても若くてスキーのチャンピオンだ

 

473 ドロレス・ヘイズから手紙, 1952.9.18

 

28章 474-

475 今は、1952.9.22

481 ボッティチェリ赤毛のヴィーナス

 

 

30章、501-

アパラチアのどこか

511 私の母が落雷に打たれて死んだ時、

 

515

静かに復活させられて、お向かいさんが姪御たちに車椅子を押してもらってポーチに現れ、まるでそこが舞台で私が主演男優みたいだった。声をかけてくれないことを祈って、私は車へと急いだ。なんて急な坂道なんだ。なんて奥の深い大通りなんだ。ワイパーとフロントガラスのあいだに駐車違反の赤い紙がはさんであった。私はそれをゆっくりと、二つ、四つ、八つにちぎった。

Quietly resurrected, Miss Opposite was being wheeled out by her nieces, onto her porch, as if it were a stage and I the star performer. Praying she would not call to me, I hurried to my car. What a steep little street. What a profound avenue. A red ticket showed between wiper and windshield; I carefully tore it into two, four, eight pieces.

Tras una serena resurrección, la señorita Vecina apareció
en su silla de ruedas, empujada por sus sobrinas, en la galería, como si hubiera
sido un escenario y yo el director de escena. Rogué que no me llamara y me
precipité hacia el automóvil. Qué callecita empinada. Qué avenida profunda.
Entre el limpiaparabrisas y el vidrio, un boleto rojo. Lo rompí cuidadosamente
en dos, tres, ocho pedazos.

 

516 (チャットフィールド夫人)すぐに私はその熱心なはしゃぎぶりをこちらの思いのままにすることができた

526 (クィルティ)ここまで来ると誰が見ても彼は朦朧としていて、完全に私のいわば慈悲のままという状態だった。これなら好き勝手ができる

 

533 私は彼の上にのしかかった。私たちは私の上にのしかかった。彼らは彼の上にのしかかった。私たちは私たちの上にのしかかった。

533 出版された形で本書が読まれるのはおそらく紀元二〇〇〇年の初頭だろう

 

538 この家は私たちが親友と共同生活した牧場ほど現代的じゃない

 

542 私の緩慢で不器用で盲目の弾丸

544 踊り場に出てみるとら驚いたことに、これまでただの耳鳴りだと片づけていた騒々しい雑音は、実際には階下の応接間から聞こえてくる声やラジオの音楽の混成曲だとわかった

544 クレア・クィルティ

 

547 横隔膜が溶けていくような心地よさで、触覚が拡散していく感触もあり、わざと道の反対側を走ることほど基本的物理法則の抹殺に近いものはないという思いでその感覚がいっそう強くなる。ある意味でこれはきわめて高尚なむずがゆさなのであった。

 

548 群生するアスター

→515 記憶の中に残っている、歩道の裂け目のところに、アスターみたいな貧血症の花が咲いていた。

 

548
激しく嘔吐した後で、しばらく丸石に腰掛けて休んでいると、気持ちのいい空気にあたればましになるかとふと思って、幹線道路の崖の側にある低い石造りの手すりの方へと少し歩いてみた。道端の枯れた雑草の中から、小さなバッタの群れが飛び出して逃げていった。軽やかな雲がかき抱くように両腕を広げ、それよりも少しは実体のある雲に向かって動いていたが、その雲もまた別の、さらにけだるい天空に沈んだシステムの一部なのだった。その親しげな断崖に誘われて近づいていくと、足下の谷間の窪みに広がる小さな鉱山町から、美しいまとまりを持った音がまるで蒸気のように湧き上がってくるのに気がついた。

 

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実は、ホーソンだとか、ホイットマンだとか、エマソンだとか、メルヴィルであるとかこういった人達が、私達が現在見ているように、正当に評価されるようになったのも、今世紀に入って1920年代以降なのです。
たとえば、1900年頃にアメリカの大学でおこなわれていた文学史をみると、今あげたような名前は、少ししかでてこないのです。
ロングフェローが、大詩人であるとか、ホイッティアーが、アメリカの大詩人である等とかいてある。