飯島耕一「定型論争」1991.12 のメモ

高浜 虚子(たかはま きょし、旧字体: 高濱 虛子、1874年〈明治7年〉2月22日 - 1959年〈昭和34年〉4月8日)は、明治・大正・昭和の3代にわたる俳人・小説家

折口 信夫(おりくち しのぶ(のぶを)[注 1]、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった

水原 秋桜子(みずはら しゅうおうし、1892年(明治25年)10月9日 - 1981年(昭和56年)7月17日)は、日本の俳人、医師・医学博士。秋櫻子とも表記する。本名は水原豊(みずはら ゆたか)。松根東洋城、ついで高浜虚子に師事

石田 波郷(いしだ はきょう、1913年(大正2年)3月18日 - 1969年(昭和44年)11月21日)は、愛媛県出身の俳人。本名は哲大(てつお)[1]。水原秋桜子に師事

藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 2005年4月15日)は、神奈川県出身の俳人水原秋桜子に師事

 

 

西脇 順三郎 - Ambarvalia

宮沢賢治 - 春と修羅

中原中也 - 山羊の唄

金子光晴 - 鮫

西脇 順三郎 - 近代の寓話

山本太郎 - 歩行者の祈りの唄

吉岡実 - サフラン摘み

 

夏石 番矢(なついし ばんや、1955年7月3日 - )は、日本の俳人明治大学法学部教授(専攻は比較文学)。本名:乾 昌幸[1]。 妻は俳人の鎌倉佐弓

林 桂(はやし けい、1953年4月8日 - )は、俳人。本名・政美

 

 

 

中塚一碧楼(なかつか いっぺきろう、1887年(明治20年)9月24日 - 1946年(昭和21年)12月31日)は、日本の俳人。本名・直三(なおぞう
荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい、1884年明治17年)6月16日 - 1976年(昭和51年)5月20日)は、日本の自由律俳句の俳人、俳論家。「層雲」を主宰、尾崎放哉や種田山頭火らを育てた
尾崎 放哉(おざき ほうさい、本名:尾崎 秀雄〈おざき ひでお〉、1885年〈明治18年〉1月20日 - 1926年〈大正15年〉4月7日)は、日本の俳人。『層雲』の荻原井泉水に師事。種田山頭火らと並び、自由律俳句のもっとも著名な俳人
種田 山頭火(たねだ さんとうか、本名:種田 正一(たねだ しょういち)[1]、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日

 

加藤 楸邨(かとう しゅうそん、1905年(明治38年)5月26日 - 1993年(平成5年)7月3日)は、日本の俳人、国文学者。本名は健雄(たけお)。位階は従四位
金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日 - 2018年(平成30年)2月20日[1])は、埼玉県出身の俳人現代俳句協会名誉会長、日本芸術院会員、文化功労者小林一茶種田山頭火の研究家としても知られ

森 澄雄(もり すみお、1919年(大正8年)2月28日 - 2010年(平成22年)8月18日)は、長崎県出身の俳人加藤楸邨に師事

 

 

 

北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、詩、童謡、短歌以外にも「ちゃっきり節」など新民謡の分野でも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並び評される
萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き
宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字: 宮澤 賢治、1896年(明治29年)8月27日 - 1933年(昭和8年)9月21日)は、

 

 

吉岡 実(よしおか みのる、1919年4月15日 - 1990年5月31日)は、昭和後期の詩人、装丁家

オクタビオ・パススペイン語: Octavio Paz, 1914年3月31日 - 1998年4月19日)は、メキシコの詩人・批評家・外交官

会田 綱雄(あいだ つなお、1914年(大正3年)3月17日 - 1990年(平成2年)2月22日)は、日本の詩人。東京出身。代表的な詩に『伝説』

那珂 太郎(なか たろう、1922年1月23日 - 2014年6月1日[1])は、日本の詩人。日本芸術院会員。「歴程」同人

田村 隆一(たむら りゅういち、1923年(大正12年)3月18日 - 1998年(平成10年)8月26日)は、日本の詩人、随筆家、翻訳家。詩誌『荒地』の創設に参加

渋沢 孝輔(しぶさわ たかすけ、1930年10月22日 - 1998年2月8日)は日本の詩人、フランス文学者

江森 國友(えもり くにとも、1933年2月19日 - )は、日本の詩人。埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。村野四郎に師事。1954年水橋晋、堀川正美、三木卓らと『氾』を創刊

山本 太郎(やまもと たろう、1925年(大正14年)11月8日 - 1988年(昭和63年)11月5日)は、日本の詩人。画家、山本鼎と、北原白秋の妹イヱ(家子)との長男として東京府荏原郡入新井町(現:東京都大田区)に生まれる

 

 

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菅野 昭正(かんの あきまさ、1930年1月7日 - )は、日本の文芸評論家・フランス文学者。東京大学名誉教授・日本芸術院会員。読売文学賞選考委員

稲畑 汀子(いなはた ていこ、1931年1月8日 - )は、神奈川県出身の俳人俳人高浜年尾の娘で、俳人高浜虚子の孫。『ホトトギス』名誉主宰、日本伝統俳句協会会長

入沢 康夫(いりさわ やすお、1931年11月3日 - 2018年10月15日[1])は日本の詩人。フランス文学者。日本芸術院会員

吉田 文憲(よしだ ふみのり、1947年11月5日 - )は、日本の詩人、文芸評論家。秋田県比内町生まれ

瀬尾 育生(せお いくお、1948年11月16日 - )は、日本の詩人、ドイツ文学者。首都大学東京名誉教授

 

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日本の戦後詩人で定型派
谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)[1]、1923年12月25日 - 1995年2月2日[1])は、日本の詩人、評論家、サークル活動家、教育運動家。社会主義的なリアリズムを基調とにした詩人として知られ、評論集「原点が存在する」「工作者宣言」は1960年代の新左翼陣営に思想的な影響を与えた

新藤千恵

いいだ もも(本名:飯田 桃〈読み同じ〉、1926年〈大正15年〉1月10日 - 2011年〈平成23年〉3月31日[1])は、東京府東京市出身の作家、評論家。多元主義共産主義者。『21世紀への構想』研究会主宰。『近代日本社会運動史人物大事典』編集委員。男性。別名の宮本 治は「宮本百合子太宰治アウフヘーベンする」との意図による

中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、日本の弁護士、弁理士、詩人、評論家

 

・かつての定型の詩人たち
シャルル=ピエール・ボードレール(フランス語: Charles-Pierre Baudelaire(発音例)、1821年4月9日 - 1867年8月31日[1])は、フランスの詩人、評論家

日夏 耿之介(ひなつ こうのすけ、1890年〈明治23年〉2月22日 - 1971年〈昭和46年〉6月13日)は、日本の詩人、英文学者

吉田 一穂(よしだ いっすい、1898年8月15日 - 1973年3月2日)は、大正・昭和期の詩人、評論家、童話作家。本名、由雄(よしお

 

mon anthologie subjective, pririvee et vecue que voici:

 

 

winterdream.seesaa.net

 

東京の郊外町は都心よりも日暮れが早い。冷え冷えとした大気のなかに、可憐なまでに小さな住宅が並んでいる。壁が斜めに仕切ってあって、三角の小さな出窓があったりする。いかにも安手のアーチ窓の軒蛇腹が飾りを競いあっている。シャッターの下りた車庫の横に、およそ場違いなシュロの木が立っている。

池内紀「わが東京詩歌 抄」