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厚切りハムカツロールを食べた

 

鞘師 智也(さやし ともや、1980年5月6日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は広島東洋カープのスカウト。

珍姓だが、先祖は姫路城の刀の鞘を作る名工だったという。元モーニング娘。鞘師里保は姪にあたる

2009年5月20日オリックス・バファローズ戦でスタメン出場。第2打席目に山本省吾からレフト線を抜ける打球を打ち、左翼手大村直之が二塁に悪送球。この隙に鞘師は三塁を狙ったが、カバーに入った一塁手岡田貴弘も三塁に悪送球し、鞘師はそのままホームインするという珍しいプレーとなった。この年二軍では8本塁打を放つなど自己最高の成績を残している。

2010年は一軍出場がなく10月3日に戦力外通告を受け、現役引退。

引退後は、カープの近畿地区担当のスカウトに転身した。これまでに担当した主な選手は岡田明丈のほか、高校の後輩でもある小園海斗がいる

 

 

光原 逸裕(みつはら あつひろ、1980年10月11日 - )は、兵庫県神戸市兵庫区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打

報徳学園高校では鞘師智也と同期で、1年下に南竜介、森山周がいた。2年春の第69回選抜高等学校野球大会からチームは4期連続で甲子園に進み、3年春の第70回選抜高等学校野球大会では控え投手としてベンチ入りした

2009年は先発ローテーションの平野佳寿岸田護らが故障して抜けた影響で、5月17日の日本ハム戦にシーズン初登板初先発。すると、5回無失点の好投を披露し、2005年7月13日以来、実に1404日ぶりに勝利投手となり、チームの連敗を9で止めた。しかし、その後は出番に恵まれず、7月9日のソフトバンク戦では1/3回5失点とまたも初回にKOされ、残りのシーズンは二軍暮らしとなった

2010年は6月9日の巨人戦に登板したが、わずか1イニングの間に阿部慎之助亀井義行本塁打を浴びてしまう。この年の登板はこの1試合のみにとどまった

2011年1月22日、斉藤俊雄とのトレードで千葉ロッテマリーンズに移籍、3試合に先発するがいずれも試合を作ることが出来ず敗戦投手となっている。3敗目となった5月のオリックス戦を最後に一軍での登板機会はなかった。2012年10月7日付けで戦力外通告となり現役を引退した

 

齋藤 俊雄(さいとう としお、1983年12月23日 - )は、愛知県岡崎市出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球コーチ。右投右打

2012年は開幕一軍入りを果たし、伊藤光と共にスタメンマスクを被り続けた。しかし、8月19日の対ソフトバンク戦で投手陣の崩壊を招いた事で岡田彰布監督の不興を買い、翌日に伊藤と共に登録抹消され、その後は再昇格することなくシーズンを終えた。それでも、自己最多の51試合に出場し、19安打・6打点を記録した

2012年8月19日 【公式戦】 試合結果 (オリックスvs福岡ソフトバンク) | NPB.jp 日本野球機構

 

青柳 晃洋(あおやぎ こうよう、1993年12月11日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属

小学校5年生で寺尾ドルフィンズに所属。生麦中学校の野球部で3番手投手を務めると、川崎工科高校へ進学した。

高校時代には、春夏とも甲子園球場での全国大会に出場できなかった。3年生夏の神奈川県大会では、桐蔭学園高校との5回戦で、茂木栄五郎から本塁打を浴びた末に敗退した

 

森本将太(もりもと しょうた、1992年5月25日 - )は、福井県坂井市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。

髙木伴(たかぎ ばん、1990年6月1日 - )は、埼玉県川口市出身[1]の元プロ野球選手(投手)

坂本一将(さかもと かずまさ、1990年11月16日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打