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『I WISH』に関してはanonさんのこの名解説をまだ読んだことがない方は一度は読んで欲しい。これもジオシティーズの閉鎖で明日には消えると思うから。
I WISH
一聴して、実にストレートな歌詞だなと、多くの方が感じると思う。「人生ってすばらしい」「すべていつか納得できるさ」ああそうですかってなもんである。青い、あるいは臭いととられるむきも多いと思う。人生賛歌、自分への応援歌、そんな感覚が一般的ではないだろうか。
しかし、何度か繰り返し聞くうちに、軽いフックに気が付くかもしれない。「出会ったり恋をしてみたり」の「してみたり」である。恋に対して婉曲というか軽い躊躇いが表現されているものだろうか。中心的に歌うのが娘。の中でも年少の5人であることを考えれば、このとまどいも何ら不思議ではないだろう。作詞者は、当初から若手5人に歌わせるつもりだったと推測できる。
さらに聞き込むうちに、いや、曲として聞いている限りは気がつかれないかもしれないが、最後の「でも笑顔は大切にしたい~」の「でも」の奇妙さに気がつくかもしれない、いや、気がついてほしい。歌詞カードでもいいから、この「でも」に注意して読んでみてほ しい。あれ?と思われるはずだ。曲の中で聞いていると、ラストの曲調が変わる導入部にあるため、それほど違和感がないのだが、この「でも」は歌詞の中で完結しない、というか浮いているのだ。
何に対する「でも」なのか。これに続く歌詞は「笑顔は大切にしたい~、愛する人のために」となる。実に現実的というか、きわめてノーマルというか、誰でも自身の意志で実現可能なことである。
ねんのため「でも」の意味を広辞苑で引いてみると、「それまでの叙述を一応肯定しながら、改めて相反することを述べるのに用いる。」とある。つまり、「でも」のあとの、この現実的な思い、自身の意志を確かめるような歌詞が、それまでの叙述とは反しているということになる。「人生ってすばらしい」「すべていつか納得できるさ」をいちおう肯定しながらも、改めて相反するものとして、この現実的な思いを述べてる、そのように解釈するしかないのだ。
すなわち、「人生ってすばらしい」「すべていつか納得できるさ」がなかば現実的ではないことを、この「でも」の一言で表現していると読み取れるのだ。ラスト近くにこっそりしこまれたカウンターなのだろうか。
ここで、この歌に隠された、そしてもっとも気がつかれにくいフック(というよりもアンカーだが)を指摘したいと思う。この曲の題名、"I WISH"である。この"wish"という言葉がくせ者なのだ。学校英語的に、この言葉の意味を単純に「望む」「切望する」あたりに理解していると気がつかれにくいのだが、この言葉には実は否定的なニュアンスがある。手近の英和辞書を引いてみて欲しい。恐らく第2義あたりであげられているだろう、「現実に反して願う、祈る」に注目してもらいたい。
一例をあげよう。映画「ディープ・インパクト」に感動された方も多いと思うが、その中で次のようなシーンがある。地球に衝突しようとしている彗星の爆破計画が失敗し、人類滅亡の危機が迫る中、アメリカ大統領が世界に向かって神への祈りを促すのだ。その言葉は"I wish..."ではじまるのだが、しばし沈黙の後、"No, wishing is wrong. It's a wrong word right now"と続け、"I believe in God"と言い直すのだ(映画から聞き取ったものなので多少とも違ってるかもしれません)。
字幕ではこの"I wish"を「願わくば」と訳していたが、これは厳密には誤訳である。「願わくば」ではなぜ"wrong word"なのかわからない。絶体絶命の時、神に祈るのは自然である。何が"wrong"なのか。
これは"wish"という英語のニュアンスを知らなければ正しく理解できない。否、キリスト教、とりわけプロテスタント系の考え方を知らなければ理解できない。"I wish I were a bird"という仮定法の文章を暗記している方も多いと思うが、そして「もしも私が鳥だったら」と訳すと習った方が多いと思うが、正しい訳をしようと思ったら、頭に「あり得ないことだが」といった一文をつけるべきなのだ。あるいはさらに踏み込んで、「神は私を人間として造りたもうた。しかし、その神の意志に反して、もし私が鳥になれたなら」と訳すべきなのだ。
つまり、"I wish"と言う時、それも深刻な事態であればあるほど、この表現には神の意志に反して、神の前では無に等しい「私が」願うというニュアンスがつきまとう。だから上記の映画ではこれを"wrong word"だとし、"I believe in God"と言い直すのである。
作詞者がこのような"wish"の語感を知っていたのかどうかはわからない。しかし、この「I WISH」の歌詞を読めば読むほど、題名の持つ否定的なニュアンスが底流に流れていることに気がつかされずにはおかない。この題名をニュアンスにそって厳密に訳すなら、そう、「それはあり得ないことかもしれない、けれども私は願う」のだ。
「人生ってすばらしい」「すべていつか納得できるさ」、それはあり得ないことなのだ。そんなことは、多少とも馬齢を重ね、生きることの艱難辛苦を知っている者ならば誰でも判っている。けれども、それでも願う、この歌にはそんな悲鳴にも似た思いが込められている。そしてそんな歌を高らかに歌うのは娘。、とりわけ若手の5人である。
「してみたり」のフックからも推測されるように、この歌は当初からとりわけ若い5人に歌わせるつもりで創ったと推測される。現実という名のこの残酷な世界を、それでも希望の光で照らせるのは、やはり若さ以外にはない。未だ破れざる者、これから人生に立ち向かう若い娘。に歌わせる、ここにこの歌の意義が込められていると私は思う。
人は人として生きることで、汚れ穢れ、たちまち有罪の身へと貶められる。気がつく気がつかないに関わらず、そのように人生は仕組まれている。しかし、未だ有罪ではない、少なくともそのような自覚のない、いわばイノセントである娘。がこの歌を歌うとき、それが幻であろうとも、一瞬の恩寵をかいま見ることができるかもしれない。「人生ってすばらしい」「すべていつか納得できるさ」、そう信じることができる瞬間が現出するかもしれない・・・。この"I WISH"という歌は、そんな慈悲の歌となっている。
現実を知る作詞者は、この"I WISH"に少なくともネガティヴなトーンを潜ませずにはいられなかったのだろう。けれども、この歌を娘。に、少女に歌わせることで、そんな闇は葬り去られる。絶望に対峙する希望、悲嘆の淵に起立する歓喜、そんな現実の構図の中の希望だけが、歓喜だけが、ここにはあふれているのだ。
この歌を創った気高い精神に、尊敬と感謝の気持ちを送りたい。ありがとう。