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豊渓里 プンゲリ
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)北東部の咸鏡北道吉州郡にある町。
2006年10月9日に北朝鮮では最初となる核実験が行われ、
2017年までに6回行われたとされる場所でもある
豊渓里での見聞を韓国で小説として刊行した脱北者・金平岡によると、
1970年代半ばまでは2つの川が合流する自然豊かな地域だった。林業を営む住民がいたほか、
強制収容所があった
1978年に朝鮮人民軍の工兵局が山間部を占有
1980年代末までに収容所や住民は移転させられ、その後建設されたのが核関連施設

朝鮮人民軍
朝鮮民主主義人民共和国の軍隊で、メディアからは北朝鮮軍とも呼ばれている
陸軍、海軍、空軍、弾道ミサイルを運用する戦略軍 (戦略ロケット軍)、内務軍、特殊部隊を
統括する特殊作戦軍の各兵科により編成されている
朝鮮人民軍は、通常兵器の質では仮想敵である周辺諸国にかなわないため、大量破壊兵器
弾道ミサイルに加えて、サイバー戦争に力を入れている
北朝鮮の6000億円の年間軍事予算(公表された数字では年間3000億円前後)のうち4000億円近くを
核・ミサイルおよびクラッキング技術の研究開発に費やしている

蔦紅葉宇都谷峠
歌舞伎の演目。安政3年 (1856) 江戸 市村座で初演。『文弥殺し』(ぶんや ごろし)、
または『宇都谷峠』(うつのや とうげ)の通称で知られる

西堂行人 にしどう・こうじん
演劇評論家。
近畿大学文芸学部芸術学科(演劇・芸能専攻)教員。
1954年10月東京生まれ

http://khibino.net/works/?p=75

化成強制収容所 ファソン
北朝鮮咸鏡北道化成郡に位置する政治犯収容所で、正式名称は第16号管理所
→安明哲の証言によると、1987年から1994年にかけて、この収容所の囚人数千人が近くにある
豊渓里の核実験場に、「大建設」と称して核実験場の地下トンネル工事のため駆り出されたが、
誰も帰って来なかったという

パキスタンのアブドゥル・カディール・カーンも関与していた核の闇市場を通じて
パキスタンあるいは中国製の1960年代に設計された弾道ミサイルに搭載可能なウラン爆縮型
原子爆弾の設計図が北朝鮮流入している

アブドゥル・カディール・カーン Abdul Qadeer Khan、1936年4月1日 -
パキスタンの技術者
1970年代以降、核技術の地下ネットワーク(核闇市場)の構築に力を注ぎ、
1998年にはパキスタン原子爆弾実験を成功させた

加賀孝英 1957 -
ジャーナリスト。週刊文春、新潮社を経て独立
1995年、第1回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞受賞
週刊誌、月刊誌を舞台に幅広く活躍
文藝春秋で「尾崎豊の遺書・全文公開」を発表し、大きな話題となった

遠藤不比人 1961年 -
英文学・文化学者、成蹊大学文学部教授。 東京生まれ

ニューヨーク市立大学 City University of New York; CUNY
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市の総合公立大学
アメリカで最も歴史のある公立大学群の一つ
創設者は、ニューヨーク市政府教育局長として公共政策に尽力後、初代駐日公使として来日し
日米修好通商条約を締結したタウンゼント・ハリス


tcpdump
コマンドライン上で利用する一般的な計算機ネットワーク調査ツールである。
tcpdumpにより、利用者はコマンドを実行した計算機がつながっているネットワーク上を
流れるTCP/IPなどのパケットを横取って、表示させることが出来る。 このプログラムは
開発当時にローレンス・バークリー研究所ネットワーク研究グループに所属していた
バン・ジェイコブソン、Craig Leres、Steven McCanneによって書かれた


バスティアン・ブロイ Sebastian Breu. 1986年生まれ。
研究者、ドラマトゥルク。
ウィーン大学大阪大学・ベルリン自由大学で日本語と比較文学を専攻。
現在、東京大学大学院総合文化研究科博士課程(超域文化科学専攻)に在学中。
2011年より演劇ユニット快快 -faifai- のメンバーとして活動。
2012年以降はチェルフィッチュ(『現在地』、『Unable to See』、『地面と床』)、
またF/T13ではリミニ・プロトコル公演『100%トーキョー』のドラマトゥルギーを担当。
池澤夏樹安部公房を翻訳


テンピ Tempe
アメリカ合衆国アリゾナ州マリコパ郡東部の都市

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重村智計 1945年9月30日 -
学者・ジャーナリスト。早稲田大学名誉教授、延世大学客員教授毎日新聞客員編集委員
下川正晴は、1980年代以降の日本における、現実ウオッチングに基づくコリア報道の
先駆者として、産経新聞黒田勝弘と共に重村を挙げている

万景台
朝鮮民主主義人民共和国平壌市万景台区域にある丘である
古くからの景勝地で革命の聖地の一つ
平壌市街西郊にあり、中心部から西に数キロ程度の場所に広がる。
大同江下流のほとりの北側にある。かなりの部分が万景台森林公園・万景台遊園地と
なっている。中央部には金日成の生家があり、外国人の平壌観光旅行では定番の観光箇所である

二色の浜公園
大阪府貝塚市にある大阪府営の都市公園(広域公園)である
海浜公園として整備され、二色の浜海水浴場を有する

統一日報
在日韓国人によって株式会社統一日報社から発行されている日本の新聞
基本的に韓国の保守派に近い立場を取っており、朝鮮労働党や、韓国内の北朝鮮に融和的な
団体を強く批判することが多い。北朝鮮による日本人拉致問題などを取り上げるときも、
テロと表現している
1959年1月に東京で旬刊として朝鮮新聞という名前で創刊されたが、
同年8月には休刊となる。その後、統一朝鮮新聞と名を変えて同年11月に復刊し、
1961年から週刊、1973年には統一日報に改題して日刊(平日5日間の発行)となる。
1998年には、再び週刊となり、現在に至る

近義の里駅 (こぎのさとえき)
大阪府貝塚市にある水間鉄道水間線の駅。
水間線では隣の貝塚市役所前駅に次いで最も遅く開業した駅

水間鉄道株式会社(みずまてつどう)
大阪府貝塚市を中心に鉄道事業およびバス事業を運営している会社
東証1部上場企業である株式会社グルメ杵屋の完全子会社
水間観音への参詣鉄道として小規模ながらも堅実な経営を続けていたが、バブル期に
沿線外での不動産事業を積極的に展開、最盛期には約20億円の売上を計上していた


ムスタファ・ケマル・アタテュルク Mustafa Kemal Ataturk
1881年5月19日 - 1938年11月10日
オスマン帝国の将軍、トルコ共和国の元帥、初代大統領 (在任1923年10月29日 - 1938年11月10日)
トルコ独立戦争トルコ革命を僚友たちとともに指導したことで知られる
オスマン帝国領セラーニク県の県都セラーニク(現ギリシャテッサロニキ)の
コジャ・カスム・パシャ街区で、税関吏アリ・ルザー・エフェンディと
母ズュベイデ・ハヌムの子として生まれた
→三浦伸昭

村松増美 1930年7月31日 - 2013年3月3日
日英会議通訳者(同時通訳者)。男性
1969年のアポロ11号月面着陸のテレビ中継の同時通訳を務めた
西山千、國弘正雄、小松達也らと共に、日本における会議通訳者(同時通訳者)の草分け的
存在であり、主要国首脳会議(サミット)には1975年の第1回ランブイエ・サミットから
第9回まで毎回通訳チームの一員として日本の外交に貢献するなど、
国内外で数々の重要な通訳を担当し、「ミスター同時通訳」とも称された

松谷浩尚 1944年 -
外交官、トルコ研究者
三重県生まれ。慶應義塾大学卒業、外務省入省。
外務省経済協力局技術協力課課長補佐などを経て、
2006年から2008年までイスタンブール総領事を務め退官


レベッカ・ソルニット Rebecca Solnit , 1961年6月24日 -
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ在住の著作家。
環境、政治、芸術など幅広いテーマを取り上げている
『災害ユートピア』(2009年)は1989年のロマ・プリータ地震で被災した経験が契機となり、
1906年のサンフランシスコ地震、1917年のハリファックス大爆発、1985年のメキシコ地震
2001年の9・11テロ、2005年のハリケーンカトリーナなどを取材・研究して書かれたもの
自身の作品に影響を与えた人物としてエドゥアルド・ガレアーノ、パブロ・ネルーダ
ガブリエル・ガルシア=マルケスヴァージニア・ウルフ、アリエル・ドーフマン、
エレナ・ポニアトウスカの名を挙げている

佐々井秀嶺 1935年8月30日 -
インドの僧。インドラ寺住職
本名はアーリア・ナーガルジュナ Bhadant-G Arya Nagarjuna Shurai Sasai
なお、本名についてはBhadant Arya Nagarjuna Surai Sasai
Bhadant Nagarjun Surai Sasaiなどの表記もある

株式会社文芸社
商業出版、流通出版、自費出版を行う日本の出版社。草思社および文芸社ビジュアルアートを
100%完全子会社として所有
文芸社の母体はたま出版であり、社長の座は韮澤潤一郎から瓜谷綱延に引き継がれた
瓜谷綱延は、たま出版の創業者・初代社長の瓜谷侑広次男
草思社は100%完全子会社であり文芸社傘下になって経営再建に成功した

加瀬昌男 1931年 - 2011年8月29日
神奈川県出身の実業家。草思社創業者
早稲田大学文学部演劇科の同期に中村八大や宇津井健、一級上には和田勉がいた
1950年、レッドパージに絡むイールズ事件で警視庁渋谷署に逮捕・勾留され、
在学1年目にして大学を除籍となるも、のち復学を許され、1年遅れで大学を卒業
1961年、友人の世話でヤマハのPR誌「ヤマハニュース」の編集長となる
1969年、「ヤマハニュース」が8月号で休刊になることが決まったため、草思社を創業
初めての刊行物として小笠原豊樹中田耕治共訳のビートルズの伝記を出したところ、
10万部のヒットとなり、同社の礎を築いた

山際素男 1929年5月21日 - 2009年3月19日
ノンフィクション作家、インド文化研究家、翻訳家。専門はインド文学。三重県大王町出身
中学、高校でそれぞれ中退を経験し、法政大学文学部日本文学科卒。朝日新聞東京本社、
世界労連東京事務所勤務を経て、インドに留学。インド国立パトナ大学、
ビスババラティ大学で学ぶ。帰国後、文筆活動に入る
→20代の頃は小説家志望で、同人誌活動を行っており、そこで同い年の色川武大と知り合い、
お互いの家に泊まりあうほど、親密になり、色川が死去するまで交際があった
色川は山際を「奇人」ととらえ、後に執筆した奇妙な人物たちが次々と登場する色川の
出世作『怪しい来客簿』に山際を登場させたかった
1984年に、吉行和子岸田今日子から「インドに行ってみたい」と依頼され、
1984年末から1985年初めにかけて彼女らを案内してインド旅行につれていき、
その旅を『脳みそカレー味: 岸田今日子吉行和子とのインド旅日記』としてまとめた


辛島昇 1933年4月24日 - 2015年11月26日
歴史学者。博士(文学)(東京大学)。東京大学名誉教授・大正大学名誉教授
タミル語刻文研究の世界的権威。また南アジア地域研究の第一人者
漢文学者・辛島驍の子として京城に生まれる。母方の祖父は漢文学者・塩谷温

ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル Bhimrao Ramji Ambedkar
1891年4月14日 - 1956年12月6日
インドの政治家(ネルー内閣の法務大臣)、思想家。インド憲法の草案作成者
カースト(不可触賎民〈ダリット〉改革)運動の指導者
インド中部のマディヤ・プラデーシュ州のマウー出身
ヒンドゥー社会のカースト制度の最下層、アンタッチャブルあるいはダリットとして知られる
層に属する両親のもと14人兄弟の末っ子として生まれた
カースト制度による身分差別の因習を打破するため、死の2か月前に約50万人の人々と共に
仏教に集団改宗し、インドにおける仏教復興運動を始めたことで知られる

ラグージー・ボーンスレー Raghuji Bhonsle, 生年不詳 - 1755年2月14日
インドのマラーター同盟、ボーンスレー家の当主 (在位:1738年あるいは1739年 - 1755年)

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小谷汪之(ひろゆき) 1942年2月14日 -
歴史学者(インド史)、東京都立大学名誉教授
『「大東亜戦争」期出版異聞』(2013)


歴史学研究会 The Historical Science Society of Japan
歴史研究の学術団体
「歴史の大衆化」、「歴史の科学的研究」の発展を目的として、1932年に設立された
前年に結成された庚午会(東京帝国大学文学部史学科出身の若手有志による会)が前身
2014年10月15日、「吉田証言の内容の真偽にかかわらず、日本軍が「慰安婦」の強制連行に
深く関与し、実行したことは、揺るぎない事実」との意見を含む声明を出した
→2001年に三谷博は「戦後日本の歴史学は、かつて日本共産党と不即不離の関係にあった
歴史学研究会によってリードされてきた」と指摘している

いいだもも 本名: 飯田桃(読み同じ), 1926年1月10日 - 2011年3月31日
東京府東京市出身の作家、評論家
多元主義共産主義者。『21世紀への構想』研究会主宰
『近代日本社会運動史人物大事典』編集委員。男性
別名の宮本治は「宮本百合子太宰治アウフヘーベンする」との意図による
東大法学部での同期に三島由紀夫がいたが面識はなかった
1947年、東大法学部を首席卒業して日本銀行に入行

多久弘一 1921年 -
代々木ゼミナール漢文科講師

これからの世界史 平凡社の叢書

ナーグプル Nagpur
インド中西部のマハーラーシュトラ州の都市である
面積218平方キロメートル、2011年の人口は241万人
ナーグプルとは、「ナーガの都市(プル)」を意味し、近くを流れていた川ナーグ川に因んでいる
ナグプル、ナグプールとも表記される。インドでは高品質なオレンジの取引で知られ、
マラーティー語で「サントラー・ナガリー」(オレンジシティの意)の異名を持つ

葛巻義敏 1909年 - 1985年12月16日
東京市出身の作家、文芸評論家
芥川龍之介の次姉ヒサと獣医葛巻義定の長男として、東京市新宿の耕牧舎牧場に生まれる
1910年に両親が離婚したため、東京市芝区銭座町(現在の東京都港区浜松町)の
新原家(母の実家)で育てられた
1928年2月、中野重治たちによる同人誌『驢馬』に第11号から参加し、
同号に小説『僕の憂鬱』を発表する。このころ、アテネフランセ坂口安吾中原中也
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